生活喜盤の担い手。フロアコーティング業界NO1を目指す㈱COLOR西村社長の想いとは?

レッド

written by 大場春香

2004年創業。横浜、京都、名古屋、さいたまで事業展開をしている株式会社COLOR。今回は社長の西村さんにお話を伺いました。

はじめは個人事業主として1人でフロアコーティングの施工を担っていた西村社長。楽しみたいだけの学生生活。からっぽで、上辺だけの人間関係に違和感を覚えながら、いつしか「お客様に喜んでもらいたい」「社員さんに喜んでもらいたい」という想いが強くなり、法人化を決意しました。

そこで衝突した売上5億円の壁。社員のみなさんに西村社長の想いを伝えるべく、2023年7月からブランディングPJがスタートしました。

ブランディングPJ完走までの西村社長の想いを紐解きます。

西村 真秀さん

昭和48年10月生まれ。福岡県出身。京都育ち。
学生時代はラグビー部に所属。大学卒業後は、輸入車販売業(ディーラー)としての営業、個人バーの経営、広告代理店営業、社長の付き人などさまざまな経験を経て、フロアコーティング業に運命的に出会う。

楽しみたいだけ。からっぽで上辺の人間関係。

▲高校3年生のときの西村さん。

ーー早速ですが、「偽善者」「からっぽ」「周りの目を気にする性格」といった西村社長の人格を形成した原体験についてお聞かせください。

うちは転勤族で、小学6年生までに5回の引越しを経験しました。友達作りをすごく気にしていて「良いやつに思われないと気に入られない」って愛想良く接するようになり、結局上辺だけの友達が出来たんですよね。高校から大学まではラグビー部に入っていたんですけど、モテたいがきっかけで入部しやってました(笑)きっかけは軽率でしたが高校時代は真剣にのめり込みました。大学に入るとラグビー(部活)と飲み会をしに学校へ行っていた感じ。先も考えないしょうもない人間だったなと思います。

 

ーーどれくらいのモテたい度だったんですか?

遊びたいなっていうだけで、基本なんにも考えていなかったですね。将来のこともなんにも考えていなくて、どこかに就職できるだろう、くらいのつまらない、計画性0の学生でした。でも部員の仲間と一緒に遊んだり、飲みに行ったりと人付き合いは楽しかったです。それまでは上辺付き合いの友達が多かったんですけど、同じ時間をともにしてきた仲間はやっぱり合うというか、通じ合うものがありました。なにはともあれ、全力で後先考えず遊んでいました。

 

ーー大学卒業後は、輸入車販売業の営業として就職し6年間務められていたとのことでしたが、なぜ受けたんですか?

卒業ができるか瀬戸際で最初に内定を頂いた会社にしようというあさはかな理由です。社会人になっても飲み会ばっかりでした。モテたいがために社長になりたいという思いもあって、2年間だけ副業で友達といっしょにバーの経営をしていましたね。定時になったらすぐ会社を出て店に行く。寝ずに仕事したのが今思えばある意味すごかったなっていうくらいで、結局儲けが出なくてやめてしまいました。

本業では、本当に仕事をなめていたんです。営業でしたが、足で稼ぐといったこともなく愛嬌だけで売れていたんですね。何の努力もしない営業。問い合わせが来るのを待つ、みたいな、努力しないつまらない、行動しない指示待ち人間でした。28歳の時、結構な頻度で休みの日も普通に会社やお客様から電話がかかってくるんです。こんなん休みじゃねえ!​​もっと良い環境の会社に転職しようと思って、転職を決意しました。ここでもなめてる…


ーーその後は広告代理店に転職されたんですよね?

はい。でも新卒で就職した会社よりも給料が下がって、しかも休みも減って。1年くらいで知り合いの方から声をかけていただき、2回目の転職をしたんです。そこではいろんな事業を経験して、いつの間にか社長の付き人みたいになっていましたね。週1の休みもなく朝から晩まで働いてました。2年在籍して、いろんな経験ができたし忍耐力もついたのですが、精神的にフラフラになっていましたね。そこで別の知り合いの方に声をかけていただき、今の状況から抜け出すきっかけだと思って東京に行きました。でも結局そこでは売上が立たず…売上につながる仕事をしてくれって言われて探していたら、今すごい熱い市場ってことで「フロアコーティング」にいきついたんです。

 

ーーそこでフロアコーティングにはじめて出会ったんですね!

1人で液剤作りからやっていたんですけど、なかなか形にできなくて。試行錯誤している間に給料が出ないことが3ヶ月続いたんです。何してもうまくいかなくて、1社目からどんどん落ちているって考えたら、1社目にそのままいたらよかったなって。当時は本当にどん底でした。自分自身の借金もありましたし。どれだけ稼げるのかっていうのにこだわっていたのに、実際はその反対。当時は2ヶ月くらいにわたって毎日3時間、隅田川を眺めていましたね。病んでました。

 

お客様に喜んでもらえるまで、とことんやる。

ーーでも2006年に職人として生きる決意をされたんですよね?

当時の仕事を辞めるか悩んでいた頃に、出会った機械作りのおじさんから「(コーティングの)機会をタダで貸してやるから独立しろよ!」って言われたんです。それまでなんにも考えていなかったし、僕にとってはすごい決断だったけど、人生挽回するしかないっていう思いで始めました。それからはもう見様見真似で、売れている会社と同じことをやっていたんです。その時は教えてくれる人もいなかったんで、損害を与えてしまうようなこともありました。1日で終わらせるってお客様に伝えていたのに、徹夜したり、午前様は当たり前。でもお客様が「よくやってくれたね」って言ってくれるまで、とことんやったんです。絶対諦めない。お客様が喜んでくれるまでは、とことんやっていました。自分を信じて依頼をしてくれたお客様のためなので。

 

ーーどれだけ稼げるか、から、どれだけ喜んでもらえるか、に変わったんですね。

当時は今じゃ考えられない仕上がりだったけど、一生懸命できる限り尽くした結果、最初は怒っているお客様も「頑張ってくれたね」って最後にコーヒーを出してくれたりして。今思うと良い仕上がりではないのにお礼を言ってくれるのはすごく嬉しかった。もっと技術高めて、もっと良い対応をして喜んでもらいたいっていう気持ちが強くなりましたね。もちろん目標はありましたけど、どれだけ喜んでもらってお役に立てるのかっていう、COLORさんにお願いして良かったと言ってもらうことがやりがいとして大きかったです。

これは法人化する前、UVカラーズという名前で個人事業主としてやっていた頃の話ですが、少しずつ人が増えてきて、でも働き方は超ブラックだったので、​​社員さんの声のもと、社員さんのことを考え法人化を決意しました。誰かが欠けたら現場ができなくなる不安もあったので、休みをしっかりとれる会社にしていこう、と。当時の社員に対しても養っていかなあかん、良い思いをさせたいと思っていましたね。長くいてくれる子には、絶対いい思いさせてやるっていう気持ちでした。

 

売上5億の壁。そもそも”人”が大事だと気付く。

ーー法人化してからは、どんな想いがあったんですか?

2008年に法人化してから、従業員はどんどん増えていったんですが、売上5億の壁がなかなか超えられないんです。人が入っては辞め、入っては辞め…個人事業主時代は少人数だったからできたことが、人数が増えるにつれ上手くいかないことも多くなりました。今までは、何百回かいえば人は変わるものだと思っていましたが、自分で気付いて変わろうと思わない限り人は変われないんだ、とやっと分かって。一時はコンサルを入れたこともあったんですけど、まったく変わらなかった。経営はそもそも採用時の”人”が大事だということに気付きましたね。

 

ーーそれで今回のブランディングPJを決意してくださったんですね。現時点でどんな会社にしていきたいですか?

コーティングといえばCOLORだよね、と思ってもらうのは当たり前にあります。その上でお客様から絶大な信頼を得る会社、社員さんからも入ってよかったと言ってもらえる会社にすることです。対社員さんに関しては、人それぞれ価値観も違うし、希望する給料や環境も違うから、いろんな人の意見を聞いて1つずつできることから可能にしていきたいですね。仕事は人生の多くの時間を費やすわけなんで、やらされ仕事をやっているだけじゃ人としての成長もないから、もったいないと思うんです。まさに自分がそうだったので。あとは、利益だけに走ってしまったり、お客様に対して嘘をついたり、感謝を忘れてしまうようなことは会社としてもしたくないですね。社員さんを喜ばせる!お客様を喜ばせる!縁ある大事な人を喜ばせる!ここが僕が心から目指すべき姿と気づきました。

 

2024年再始動「生活喜盤の担い手」

ーー2023年7月からブランディングPJが始動し、会社のど真ん中を話すことにはじめてチャレンジされたと思いますが、やってみていかがでしたか?

このプロジェクトで気付かされたことがたくさんありました。社員さん含め、COLORってなんなんだろう、なんのために働いているんだろうってここまで深掘りしたことはなかったんですよね。僕自身、そもそもやりたかったこと、だからこれをやっているんだ、みたいな新しい気付きもありました。今までは、誰かに伝えるにもなかなか言葉にしにくかったんですが、プロジェクトを通してCOLORらしい、伝えやすいコンセプトが言語化されたなと思っています。

 

ーープロジェクトで決まった企業コンセプト「生活喜盤の担い手」への想いを教えてください。

自分の生い立ちを通して、人を喜ばせたい、COLORにしてよかったと思って欲しい気持ちが強いことが分かったんですよね。でもそれは社員さんになかなか浸透しにくくて、「分かってよ!」って思っていても伝わりづらいものでした。だから、生活の基礎となるうちの商品(床、壁)を通じて、お客様にいつまでも明るい未来や笑顔を続けてもらう生活を「生活喜盤」として言語化されたことが、しっくりきて納得しています。めちゃくちゃいいじゃん!って。

 

ーー「生活喜盤の担い手」になったからこそ、今後会社としてチャレンジしていきたいことを教えてください。

COLORは、多くのお客様を喜ばせるために業界一になることを目指しています。そのためには、今回決まった「生活喜盤の担い手」をプロジェクトメンバー以外の社内へ浸透させること。ユニフォームも含め、会社HP等にも散りばめて、社員さん自ら「生活喜盤の担い手」が誕生したストーリー、意味を説明できるようになるのが今後の課題ですね。そしてエリア拡大はもちろん、今後はワンラブ(※ペット用のフロアコーティング)にも力を入れていきます!

 

株式会社COLORのコーポレートサイト:https://www.uv-colors.jp/

株式会社COLORの採用ページ:https://hr-hacker.com/uv-colors1225

この記事をシェアしよう!

  • hatena
株式会社COLOR