【ダシマス老舗・吉川屋】人を大切に。183年の歴史を背負って歩み始めた社長の想いとは

レッド

written by ダシマス編集部

創業100年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。

今回インタビューに答えていただいたのは、天保12年(1841年)と江戸時代から続く老舗旅館の七代目、畠正樹(はた まさき)さん。183年という歴史を持つ旅館を継いだことに対する想いや、同館の歴史を伺いました。

代表取締役社長 畠 正樹(はた まさき)さん

代表取締役社長 畠 正樹(はた まさき)さん

1978年福島県福島市生まれ。青山学院大学経済学部経済学科卒業。子供の頃から漫画家を目指し、漫画を描く若旦那として現在も活動中。また、地域の三味線文化を次世代に残すために、若旦那三味線ユニットとしても活躍する。

執筆:川又 瑛菜(えなり かんな)

執筆:川又 瑛菜(えなり かんな)

フリーライター。求人広告代理店や採用担当などHR領域の経験を活かし、企業へのインタビュー記事や採用広報記事、イベントレポートを中心に執筆している。フランスでの生活を目指してフランス語を勉強中。読書と人文学が好き。

「福島に吉川屋あり」父の目標に向けた努力と歴代当主の取り組みが築いた現在の地位

 

――約200年と非常に長く続いている吉川屋さんですが、創業の経緯を教えていただけますか。

私が直接話をできたのは五代目の曽祖父までですが、歴史家の方に調べてもらったことがあります。福島市の古文書によると、この地域には300年前から湯治場があったようです。そんな昔から温泉がある場所で、183年前に初代当主である栄吉が穴原温泉を開湯したのが始まりです。

個々の旅館の歴史をすべて把握できているわけではないので、この一帯でもっとも歴史があるとは断言できませんが、古い方であることは間違いないですね。

また、栄吉は穴原温泉の開湯をしただけではなく、地域の伝令役のような役割も担っていたとのことでした。二代目は、飯坂温泉の交通の要となる「十綱橋」と呼ばれる橋の建設に携わっていたそうです。

六代目の祖父は、旅館ホテル連盟という宿泊施設の組合で重要なポジションを担っていました。父も地元の飯坂温泉観光協会の会長を長年勤めていましたし、そうした地域のリーダー的な役割をこれまでずっと担ってきたのではないかと私は考えています。

あと、実は以前、ネットの古書関連のサイトで昭和30年代の当館のパンフレットを見つけて購入しました。今回の取材に持ってこいだと思ったので用意したのですが、それによると当時は200畳の宴会場があったそうです。

 

 

――200畳ですと、かなり広いですね。

相当早い時期に大きな宴会場を作ったみたいですね。このほかに総大理石の大浴場もあったようです。客室も25室を数え、そのなかには風呂付き部屋もありました。露天風呂かどうかまでは不明ですが、当時すでにお風呂付きの部屋があったのは、先進的だったのではないかと感じています。

ほかにも家族風呂や婦人風呂、岩風呂に蒸し風呂とたくさんのお風呂があったようです。当時は人力車がまだ普通に走っていたような時代でした。飯坂温泉のなかには歴史のある旅館がいくつかありますが、これだけのことをそんな時期からやっていた旅館はおそらくないように思います。

 

――昔から、新しいことにも積極的に取り組まれていたのですね。

そのおかげもあってでしょうか、私が聞いていた話によりますと、この頃は新婚旅行ラッシュがあったそうです。

穴原温泉は飯坂温泉よりも奥まった、奥座敷的な位置にあります。飯坂温泉は古くは遊郭などがあり昔から賑わっていた街です。高度経済成長期にも、磐梯吾妻スカイラインという紅葉の一大スポットに来た人々を乗せた観光バスが、飯坂温泉に毎日じゃんじゃんやってくるような場所でした。一方の穴原温泉はまったく知られていませんでした。飯坂温泉が満杯になって、そこではじめて、あぶれたお客様がやってくるようなポジションだったんです。

そんななかで当館では、当時は珍しいべットルームを用意していたと聞いています。民間の普通の家にはベッドなんてなかった時代のことです。和洋室は大変珍しかったので、それで当館に新婚夫妻が数多く訪れるという新婚旅行ラッシュが起きたんですね。今でこそ旅館にもベッドルームが増えましたが、それを50年ほど前にやっていたわけです。

このほかにも、祖母から聞いた話によると当時の当主であった祖父は非常に先進的な人だったことがわかります。英語が禁止されていた太平洋戦争期が終わるとすぐに「ホテル吉川屋」の英語を使った看板を掲げたり、人力車が走っている時代にアメリカの車を使っていたりしていたようです。こうした新しいことにチャレンジしようとする精神は、吉川屋全体に受け継がれているように感じていますね。

そして企業の社員旅行が増えた30〜40年前には、先代である父が設備投資をして旅館を大型化しています。父は「福島に吉川屋あり、と言われるような旅館を目指していきたい」という目標を持っていました。

 

――その甲斐もあってか、当時、天皇陛下だった上皇ご夫妻もお泊まりになられたそうですね。

そうなんです。福島県のなかで、皇室の方がご利用される施設はごく限られておりまして、大変ありがたいことにそのひとつに当館がご指名頂いております。

平成8年の福島国体の際、全国障害者スポーツ大会、また東日本大震災の復興の応援に上皇夫妻、天皇皇后両陛下にお越し頂き、今でも国内・海外の大切なお客様をお迎えする際はご指名頂くこともあり、大変名誉なことだと感じております。

私はまだ代を引き継いで2年ですし、父が「福島に吉川屋あり」という旅館を目指してきた中で築き上げてきた信頼の土台の上で商売をさせて頂いているので、さらに次世代に良い地域社会を残すために、頑張るのはこれからですね。

 

社員だけは守り抜く。その想いで乗り切ったコロナ禍

 

――現在は7代目を担われていますが、7代目としての旅館業に対する想いをお聞かせいただけますか。

私は子どもの頃から漫画家志望で漫画ばかり描いていました。今も趣味で書いてるんです。祖父は絵描きでしたし父も建築士だったので、そういう方向に興味のある家系なのかもしれません。本当に漫画家になろうかなと思っていましたが、結局26歳の時に戻ってきました。

もともと接客業に不向きな性格もあり、修業時代は前途多難でしたが旅館に対する想いが変わった転換点がふたつあります。

ひとつは、北海道の旅館へ修行に行った時のこと。旅館の息子は基本的にどこかの旅館に修行に行くんです。その修行先の社長さんに影響を受けました。そこは北海道内でたくさんの店舗を展開しているリゾート旅館でした。

父の時代は日本の高度経済成長期なので、業界的にも非常に良かったと聞いております。時代は変わり、失われた30年と言われる時代に入り、私たち若い世代は大きな借入を背負い、明るい展望を描けない人たちも多い。

そんななか、その修行先の社長さんが「旅館ほどいい商売はない。真っ白なキャンバスに自分の好きな絵を描くことができる、夢のある仕事なんだよ」と教えてくれました。私にはその表現が驚くほどスッと入ってきて。

先の見えない中、借入の返済のことばかり考えるなんて苦しい人生です。その認識を夢のあるものに変えてくれて、自分の心持ちが一変しました。

 

――もうひとつの転換点は何だったのでしょうか。

東日本大震災ですね。それまではおかげさまで毎日のようにお客様が入っている旅館でしたが、東日本大震災の時は休業を余儀なくされたんです。震災のあとに原発事故が起きて、お客様はいなくなりました。いつもは賑やかな館内から人っ子ひとりいなくなって、静まり返っていて……。非常に寂しく感じました。

やっぱり、お客様がいない旅館は旅館じゃないし、お客様の賑わいがあってこその旅館です。お客様が来ていただけることが、当たり前のことではないんだと痛感しました。本当に心の底からお客様に感謝するようになりましたね。

旅行では、景色に癒やされて、観光して、おいしいものを食べて、温泉に入って、そして人の優しさに触れることができます。これらの営みを通じて、旅する人はすごく元気になるわけです。旅館はそのなかで大きな役割を果たしています。

また、地域でとれたお米、野菜、肉、お土産品などを地元から買って、それをお客様に提供するという、地域の経済を循環する役割も担っています。地域にとってもなくてはならないものなんですね。

東日本大震災という逆境により、こうした私たちの役割、そしてそれがいかに世の中に求められているかを改めて実感しました。

 

――逆境といえば、コロナ禍でも大変だったのではないでしょうか。

東日本大震災の影響も甚大でしたが、コロナ禍は単純に比較できないほどの大打撃でした。東日本大震災と同じく大きな試練にぶつかり、今回もいろんなことを考えましたが一番考えたのは社員のことです。

リストラを行った旅館もあると聞きますが、吉川屋では「社員の雇用を守るのも企業の役目だ」との想いもあってリストラは行いませんでした。業績が苦しいなかなので、当然自主的に辞める人も出てきて社員は減ってしまったのですが、こちらから解雇することは一切しませんでした。

会社は社員によって作られているので、経営者のやるべきことはやはり社員を守ることだと思うんです。非常事態でこの先の未来がどうなるかわからないなかでしたが、「とにかく社員は守るんだ」という想いで、コロナ禍は乗り切りました。

 

――コロナ禍を経て、変わったことはありますか。

先ほどもお伝えしたようにコロナ禍で退職した社員もいたので、お客様が増えてきた今、人が減ってしまった部分を補うのに正直苦労しています。しかし、旅行需要が復活すればこうなることは予測できたこと。そのために、生産性向上に取り組んできました。その甲斐もあって、なんとか対応できています。

具体的には、業務のマルチタスク化です。今まではフロントはフロントの仕事、接客は接客の仕事、営業は営業の仕事と、たまにヘルプに入ることはあっても、基本的にはワンオペで仕事を行ってもらっていました。

そうではなくて、ひとりの人がマルチタスク的にさまざまな業務を行う形にしたことで、人数が減っても全体としての質を維持しやすくなりました。その結果、顧客満足度が維持できているのだと思います。

またコロナ禍を機に、休館日も変更しました。今までは年間に1〜2日程度でしたが、今は月に2日間の休館日を設けています。旅館では、宿泊した次の朝にお客様がお発ちになるので、休館日が1日だけだと丸一日休めない社員が出てきます。これが2日間休みを取ることによって、みんながしっかりと休めるようになりました。

しかしまだまだ課題はたくさんあります。

今年の秋はたくさんのお客様にご利用いただきましたが、コロナの影響はまだ完全になくなってはいません。それに物価高も響いています。物価が上がっているからといって、価格変更はなかなか難しい。それに、これはすべての業界の悩みだと思いますが、人手不足という課題もあります。

このように外的要因を挙げたらきりがありません。そんななかでより吉川屋や地域を盛り上げるために今取り組んでいるのが、他業界の方々との連携です。

旅館単体で生きていく時代でもないと思っているので、いわゆるステークホルダーの方々との連携を強化しているんです。先日も発酵食のイベントを行って、日本酒の酒蔵さんや漬物屋さんなどとコラボしました。

また、最近地元で発掘された縄文土器の館内での展示も行いました。私は縄文が大好きでずっとやりたかったのですが、三年ごしにようやく実現しました。ほかにもeスポーツとのコラボも考えています。こうして吉川屋のなかにとどまらず、ほかの地域やさまざまな取引先の方とどんどん連携していければいいですね。

 

地元のストーリーや食材をお客様に届けていきたい

――畠さん自身が大切にされている価値観を教えていただけますか。

人を大切にすること。これに尽きますね。

私は旅館で生まれ育った人間です。家業があると、私生活と仕事との境目がないんですよね。両親はいつも仕事をしていましたし、私も幼少期は旅館内が遊び場のようでした。旅館のなかで遊んでいたり、社員さんにお世話してもらったり。

社員さんが常に生活の中にいたので、私にとっては本当に家族みたいなものなんです。もちろん子どもの頃にいた社員が今もいるわけではないのですが、感覚的にはやっぱり家族的で、経営者と社員で線引きされていません。なので社員は大切にしたいですね。

もちろん、お客様も同じです。サービスが良かったと言われることが私たちにとっては一番大事ですし、スタッフに対しても、いつも「今日お泊まりのお客様に笑顔になって帰っていただくことが一番大事なんだよ」と話しています。

 

――社員の方々にも、親身に寄り添われているんですね。

特に社員には、それぞれ自分のプライベートを大切にしてもらいたいと思っています。

もちろん旅館という業態上、土日やお盆などの連休などは休んでもらうことが難しいこともあります。でも、たとえば子どもの運動会や友人などの結婚式があれば優先的に休みを取ってもらっていますし、家族が具合が悪くなったときでも「まずは家族を優先しなさい」というスタンスで社員に接しています。

私も子どもだったのでわかりますが、子どものイベントは、子どもにとっては一生に一度しかありません。しっかり優先してもらいたいので、その穴はみんなでカバーしていけばいいと考えています。

 

 

――旅館としての吉川屋の強みや特徴についても教えてください。

まずは良質な睡眠が取れることです。「吉川屋のお湯に浸かるとよく眠れる」って言っていただくことも多くて。それは広いお風呂のおかげなのかなと思っています。お風呂に浸かると、お湯の水圧で体がマッサージされます。そしてお湯の量が多いと、入浴中に体にかかる水圧も大きくなる。すると当然、お湯によるマッサージ効果が大きくなるんですよね。そのおかげで、ぐっすり眠ることができる。うちの温泉は弱アルカリ単純泉の温泉なので、そのお湯自体の効果もあります。

また料理も、一番体にいいと言われる旬の食べ物をふんだんに使っています。その土地の旬の食べ物や、ご当地の地酒といったおいしいものを取り入れて元気になってもらえるのは強みではないかなと。

今、特に力を入れているのが発酵食品です。発酵食品は和食の基本とも呼ばれていますし、実は私たちが食べるものには発酵食品がすごく多いんです。納豆に醤油に味噌、洋食だとパンもそうですね。これらの発酵のプロセスは非常に複雑で奥が深いのですが、私たちはその研究をしています。

東北はもともと冬場は食べ物がないために、発酵食、保存食の非常に進んだ土地です。そして発酵食は腸内環境を良くするので、体の中から元気になる、美しくなる効果もあります。当館のコンセプトは「ココロとカラダにやさしい宿」。一人でも多くの方にぜひ召し上がっていただきたいです。

 

――今後、吉川屋をどのような旅館にしていきたいですか。

穴場温泉はやっぱり飯坂温泉の奥座敷で、実はまだまだ知られてないんです。でも来ていただくと、「こんな素敵なところがあったんだね」と褒めていただくことが多々あります。この場所はインターチェンジから車で12分ぐらいですし、新幹線を使えば東京からも2時間程度でこれるので、アクセスはいいんです。だからこそ、ちょっと足を伸ばした場所に素敵な場所があることをしっかりと伝えていきたいですね。そして福島県の唯一無二のリゾートを作っていきたいと考えています。

旅行という行為は、日常から離れて非日常に行くことです。その非日常である旅行先で人に優しくされることは、すごく大事な体験だと思います。場所が変わることで気持ちがなんだか軽くなる。そしてその軽くなった心をもって、いろんなものを見たり聞いたり、体験したり食べたりしてリフレッシュする。そして帰ってくると、また日常で頑張ろうと思える。これが旅行の大きな効果です。

吉川屋という旅館に泊まることによって、人々が元気になる。そうして日本人一人ひとりを元気にすることが、将来的には日本を元気にすることにつながるのだと思います。そのためにもまずは社員が活き活きと輝く会社を作ることですね。そして社員の輝きや元気がお客様に伝わることで、お客様の心も体も元気になる旅館を作っていきたい。それが私の目標です。

また、地域に愛される旅館であり続けたいですね。皇室の方々にご利用いただくようになってから、吉川屋は高級な宿だと思われることが多くなりました。しかし歴史を遡ると、吉川屋はお客様と近い場所で寄り添ってきた旅館だと思います。これからも、地域社会に貢献し、新しい風を吹き入れながら、良いエネルギー循環を起こす会社であることを大事にしたい。

地元の人に、「行ったらいい体験ができて、いい料理が出てきて、いい思いができて、素敵な心癒される旅館だよね」というイメージをずっと持ち続けていただけたらいいなと思っています。

 

――何かそのために、行っていることはありますか。

たとえば今年は、福島の名産である桃を使って桃会席を作りました。これは和食のフルコースですが、全てのメニューに福島の桃を使っています。インパクトがあったためか、地元メディアやNHKワールドさんとかにも取材をいただきました。

福島には、果樹園がたくさんあります。初夏のさくらんぼ、夏の桃、秋はぶどう、冬が近づくとリンゴと果物がすごく豊富なんです。

ではなぜそんなに果樹園が多いのか。歴史を辿ると、昔は福島市から川俣と呼ばれるエリアまでが一台紡績産業の地でした。飯坂温泉の歓楽街ができたのも、その影響です。東北で一番最初に日本銀行ができたのも福島市ですし、それだけ栄えていたわけです。

それが戦後になると、海外から人工的な綿が入ってくると衰退していきました。そこでたくさんあったお蚕様を育てるための桑畑が、果樹畑になっていったんです。そういう歴史があるわけですね。

でも実は、このストーリーはまだ福島市内や地元でも知らない人が多いんです。このストーリーをどう語り継いでいくのかが私のテーマのひとつでもあります。

最先端のやり方は東京に行けば知ることができますが、最先端のやり方を知っても、簡単に真似されてしまうことが多いです。私もインターネット上に宿泊プランを掲載していますが、ヒットするプランも、他の旅館が真似しようと思えば簡単に真似できちゃうんですよね。

そんななかで真似できないものは何かと言ったら、その土地にあるストーリーであったり、その土地の宝だと思うんです。たとえば、桃を作る果樹農家さんひとつとっても、東日本大震災で放射性物質が福島にまかれてしまった時に、その風評被害からどうやって脱却して回復してきたのかというストーリーをそれぞれ持っていると思うんです。

こうした一つひとつのストーリーを宿泊の体験と共にしっかりお伝えしていく。そうすることが宿泊する方にとっての心の満足度につながり、コンセプトである「ココロとカラダにやさしい宿」の心に対する優しさになるのかなと考えています。

 

――最後に、記事を読む方へのメッセージをお願いします。

吉川屋では、新卒の方も中途の方もどちらも採用しています。彼らが入社し、みるみる成長していく姿を日々見ています。きっと人と接することによって、お客様によって磨かれて成長していくのだと思います。

旅館業は特に、まずはお客様と接する時間が非常に長いため、それだけ関係性も深くなります。私たちのお客様には、「おじいちゃんがこの旅館が大好きでよく来ていたから自分もファンになり、リピーターになった」という方もいらっしゃいます。そういう親子や世代を超えて付き合っていくところに、非常にロマンがあると思うんですよね。これこそが旅館業の面白いところです。

また、この地域のおいしいものやいいところを伝える仕事でもあるので、自分の地域に誇りを持って働ける非常にやりがいのある仕事だと考えています。興味のある方はぜひ、気軽に吉川屋を訪れてください。いつでもお待ちしています。

 

吉川屋について

・ホームページ:https://yosikawaya.com/

 

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