富山ファンの獲得は、人と人とのつながりがあってこそ。関係人口を生み出す「日本橋とやま館」
written by 川西里奈
東京日本橋に店を構え今年で7年目になる富山県のアンテナショップ『日本橋とやま館』。首都圏への情報発信の拠点として、富山県の特産品の販売をはじめ、ワークショップやグルメを楽しむイベントなどを開催し富山県の魅力を伝えています。館長の田﨑博勝さんに、日本橋とやま館の持つ魅力や役割、今後の活動についてお聞きしました。
田﨑博勝(たさきひろかつ)
日本橋とやま館 館長。富山県首都圏本部 副本部長 富山県富山市出身。新卒で富山県庁に勤め、観光や航空に携わる部署などを経験。 2021年から日本橋とやま館の館長を務める。
イベント満載!富山県を体験できるアンテナショップ
__日本橋とやま館は普通のアンテナショップとは少し違うそうですが、どのような特徴があるのでしょうか?
田﨑博勝さん(以下、田﨑):富山県のもの(特産品)を売るだけの場所ではなく、“富山のライフスタイル”を体験・体感できるアンテナショップとなっています。富山と東京(首都圏)をつなぐ拠点施設として物販、和食レストラン、バーラウンジ、観光交流サロン、交流スペースという5つの部門で構成しており、2016年に設立しました。食や自然、デザインや伝統文化といった富山県の日常の豊かさを提供し、魅力を伝えることをコンセプトとしています。
__2021年3月に館長代理の瀬川さんを取材させていただきましたが、当時はコロナの影響もあり主にオンラインイベントを行っているとのことでした。現在はどのような活動をされているのでしょう?
田﨑:コロナの感染状況が落ち着いた2022年の1月にワイン通として知られる俳優の辰巳琢郎さんをお迎えしてイベントを開催したのをきっかけに、ゲストの方やお客様を招いてのイベントも徐々に復活してまいりました。このイベントの際には館内の和食レストラン『富山はま作』にワイン好きの方々が多数集まり、辰巳さんがセレクトされた地元や国産のワインと浜守料理長が考案した特別メニューで富山県の冬の味覚を楽しんでいただくことができました。
その後も感染者数の増減に応じて感染対策を取りながら、少しずつ体験型のイベントやワークショップの開催を増やし、昨年10月頃からは海外のお客様も少しずつ戻ってきています。昨年12月はオープンして以来、過去最高の月間売上を記録しました。
__それはすごいですね!
田﨑:私がこちらに赴任した4年前、まだまだ日本橋とやま館の認知は低く、店頭に立っていると「ここはなんのお店ですか?」とよく聞かれました。今では何度も足を運んでいただく方や飲食やイベントなどを目的にお越しになるお客様も増え、かなり認知度も上がってきたと実感しております。
交流を通じた体験が、首都圏と富山をつなぐ
__田﨑さんご自身も富山県出身とのことですが、日本橋とやま館の館長になったのはどういった経緯だったのでしょう?
田﨑:私は富山市南部にある富山空港の近くで育ちました。今でこそ北陸新幹線もできてそのあたりの環境は変わってしまいましたが、子どもの頃は、夏は川で泳いだり、クワガタを捕まえたり、冬はスキーをしたり、かまくらを作ったりと、自然を相手にした遊びをいっぱいしていました(笑)。
新卒で富山県庁に就職し、観光、航空、企業誘致、危機管理など、実にいろいろな部署を担当しました。2010年以降、東京勤務が長くなり富山と東京を行ったり来たりしている中で、東京のマーケットや価値観に対する目線も身につき、お客様の求めているものに対するアプローチの仕方を少しずつ学ぶことができたと思います。その後、日本橋とやま館へ異動となり、富山と東京をつなげるということが次第に自分の中でライフワークになってきたと感じますね。
__田﨑さんは日本橋とやま館の立ち上げ当時から携わっていたそうですね。現在運営をされる中でどういったことにやりがいを感じていらっしゃいますか?
田﨑:北陸新幹線の開業を控え、富山と東京をつなぐ新たな拠点の必要性を感じ、都内のアンテナショップをリサーチし、様々な関係者からアドバイスをいただきながら当館のコンセプト作りや立地場所探しを行いました。伝え方ひとつで、その先の広がりや発展の仕方は大きく変わっていきますので、富山県のことを知らない人にどのように魅力を伝えるか様々な視点から考えて構想を練りました。スタッフと一緒に企画を考え、魅力をうまく伝えられたときには喜びがあり、そこにやりがいを感じています。
__魅力をうまく伝えるためには具体的にどういった工夫をされたのでしょうか?
田﨑:富山県を知るきっかけとして、ただ買い物をするよりももっと濃い“体験・体感”が必要だと考えました。本格的な和食レストランがあることや、お酒を飲みながらの交流によって輪が広がり次のアクションにつながる、といった連鎖が起こるような空間を作るように心がけました。
関係人口をつくり自走する地域社会を目指して
__今後はどのような場所にしていきたいですか?
田﨑:富山県では今「関係人口1000万人」という目標を掲げていますが、当館が関係人口を生み出す一翼を担う場所になっていくと良いですね。日本社会は、経済、文化、人口などの東京一極集中により地方が疲弊していくという事態が起こっています。富山県でも伝統文化を担う職人さんなどの後継者不足や空き家問題などが深刻化しています。
日本橋とやま館での体験をきっかけに、富山県に関心を持ったり魅力を感じてサードプレイスのような存在になると良いですね。また、当館を活用して地元の事業者さんが豊かになることで、富山県に雇用や後継者が生まれ、経済循環を生み出していければと思います。
近年では地方に拠点をつくりみんなでシェアしたり、セカンドハウスを持ったりと人々のライフスタイルは多様化しています。そういった時代の変化に適応して、新たな価値を創造していくことで、地域が生き残っていくことができるのだと思います。
__今後力を入れていきたいのはどんなことでしょうか?
田﨑:富山ファンのコミュニティをしっかりと作ることですね。ファンの方々の間で自ずと活動が盛り上がっていけば、この先何百年も地域社会が豊かな場所として存在し続けることができるのではないでしょうか。
富山県の事業者が東京とつながることやお客様に富山県を知っていただくための活動のひとつひとつは小さなことかもしれませんが、続けていくことでやがて大きな流れを作れると思います。今後も皆様に楽しんでいただける仕掛けを、スタッフやファンの方々と一緒に考えながら活動していきたいと思います。
取材を終えて
何度足を運んでもお客さんを飽きさせない工夫がたっぷりの日本橋とやま館。この日も平日にも関わらず多くの人で賑わっていました。ワークショップやイベント、観光サロンでの体験は、人々に富山県の魅力をより濃く印象付け、交流を通してさらに多くの人に広がっていきます。富山県の未来を見据えるアンテナショップは、田﨑館長をはじめとするスタッフの方々の富山県への愛で支えられているのだと感じた今回の取材でした。