【ダシマス老舗・白井木工所】木の可能性を暮らしの中に。四代目が語る「この瞬間を生きる」という意味
written by ダシマス編集部
創業100年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。
福島県伊達市の白井木工所は、1916年(大正5年)に創業され、現在は木製建具・木製家具の設計から製作、施工までを一貫して行っています。「建具製作」はユネスコ無形文化遺産に登録されている日本の“伝統建築工匠の技”であり、白井木工所が脈々と受け継いできた技術は、100年を超えて人々の生活に寄り添ってきました。
今回インタビューしたのは、1994年から四代目代表を務める白井貴光(しらい・たかみつ)さん。現在(いま)に全力を注ぎながら、静かに仕事の将来を見つめる白井さんに、事業継続の秘訣や価値観について伺いました。
代表取締役・白井貴光(しらい・たかみつ)さん
IT会社勤務後、家業であった白井木工所に入社。1994年、前代表の父から会社を継ぎ、四代目代表に就任する。木工技術の活用と地域木材製品の開発に取り組む『伊達クラフトデザインセンター』の代表も務める。
執筆:紺野天地(こんの・てんち)
フリーライター、文筆家。取材記事の執筆ほか、創作活動もしている。ライターとしては主に、形にとらわれないで生きる方々の姿を取材。
時代とともに新しい取り組みを
――まずは、創業の経緯についてお聞かせください。
初代にあたる私の曽祖父が近所の建具屋さんで修行をして、「白井建具店」を創業したのが始まりだと聞いています。その後、二代目である祖父の時代に社名を「白井木工所」と改め、三代目の父、四代目の私へと引き継いできました。
――白井さんが会社を継いだのはいつでしょうか。
1994年。私が23歳のときです。
――企業が100年以上続いた秘訣について、どうお考えですか。
昔、父とも話したのですが、「時代に合わせて新しい取り組みをすること」だと思っています。「これがうちだ!」と頑なに構えるのではなくて。
例えば初代のころ、当社は建具屋として主に住宅関係の仕事をしていました。それが二代目になると高度経済成長期に入り、公共施設の建設が盛んに行われた時代だったので、学校のロッカーのような公共設備の製造・施工を始めています。
――社会のニーズに合わせてきたからこそ、今があると。
はい、もちろん技術を守るという大前提があってのことですが。
ただ、会社のポリシーのようなものは大事にしなければならない。当社でいうと「お客様と約束した期日は絶対に守ること」ですね。施工を例に挙げると、うちが担当するのは仕上げ工事の最後の部分なので、工期が詰まった状態で引き渡されることが多いんです。その中でもなんとか生産性を上げて、工期厳守で対応しています。お付き合いのあるお客様から「いつでもいいよ」と声をかけていただいても、「この日までに完成させます」と伝えて、その約束を必ず守ります。
――技術を継承しながら時代に合わせる。近年は自動化が進んでいますから、葛藤が生じることもありそうです。
そうですね。新しい機械を導入するときに、従業員から「今までのやり方のほうがやりやすい」と、私のやり方に納得していない雰囲気を感じたこともあります。そういったときは、自分の言葉で丁寧に説明するようにしてきました。
それに、新しい機械を導入すれば企業としてできることが増えます。それまで対応していなかったご依頼でも、「できません」と突っぱねずに可能な限りお受けしてみると、そこから思わぬご縁に繋がることがありますから。
「思い」があるから続けてこられた
――代表に就任されてから、大変なこともおありだったかと思います。特に印象に残っているエピソードは?
あえて一つ挙げると、東日本大震災のときですね。会社や工場、自宅が被害を受けたのも大変でしたが、原発事故などが重なって「ここで商売を続けられるのだろうか」という心配が頭をよぎりました。会社の存続について不安に駆られたのは、後にも先にもこのときだけです。
――その状況をどう乗り越えたのでしょうか。
被害に遭った建物を修復したり、仮設住宅の建築があったり、やらなければならないことが目の前に次々に出てきましたから、自分の心配や不安なんて考え続ける暇がなかったんです。
お世話になってきた元請けさんに頼まれたら、私たちにできることはしたいし、地域のスーパーが開店できずに困っているのであれば一刻も早く修復したい。今まで地元で商売をさせてもらってきた御恩に応えたくて、現状をなんとかしたい気持ちでいっぱいでした。
――長い歴史の中で失敗してしまったことや、そこから得た教訓があれば伺えますか。
ありすぎます……(笑)。
どの失敗にも共通するのは、確認不足でしょうか。失敗って偶発的に起きているわけではなくて、結局、自分が何かを怠ったときに起きているんですよね。図面に必要な情報が載っていないと思ったら、私の確認と指示が漏れていたとか。受け取ったCADデータを間違いないと信じ切って、いざ完成させたら縮尺が違っていたという大きな失敗をしたこともありました。
それでもめげずに私が事業を続けてこられたのは、仕事への「思い」があるからです。たまたま家業として「ものづくり」をしていたから、この仕事の面白さを知っていたし、血の通っている事業だからこそ継ごうと決めました。
当社は「赤ちゃんのようなもの」
――白井木工所の従業員数は現在7名。人材をどのように配置していますか。
基本的に製作と現場で分かれてはいますが、「こっちを手伝ってほしい」「あそこにサポート入って」というように、状況に応じて配置しています。形としては「組織」より「チーム」に近いので、全体を回しやすくはありますね。
ただ、それが会社の課題でもあって、チームから組織にしていかなければならないと感じています。
――チームを組織にしていくうえで必要なことは何だと思われますか。
二つあって、一つ目は人材の確保と育成です。今いるメンバーをどのようにリーダーに育てるのか。あるいは新しい人材を雇うのが最適解なのか。誰かを動かせば、そのポジションに別の人材が必要ですし、やはり人がいないことには企業は成長できません。
とはいえ、特にこの業界は人材確保が難しい現状があるので、どうしていくべきかを常に考えています。そういった点で、当社はまだまだ発展途上。会社組織としては赤ちゃんみたいなものなんです。
――二つ目はなんでしょうか。
意識改革的なことです。私はある時期まで、うちの仕事を「木材を加工して工業製品を作っている」という小さな視点でとらえていました。けれど実際、木を木材として切り出すまでには50年、60年という歳月や人の手が加わっています。その木材をうちが加工して製品になり、さらにその後、使う人の暮らしに寄り添っていくわけです。木の可能性を手渡していくイメージですかね。
そういう大きな視点を持つと、会社としての柔軟性が高まって可能性も広がりますから、組織を作るうえで必要なんじゃないかと思っています。
目の前のことに向き合っていたら107年が過ぎただけ
――次の100年に向けてのビジョンがあればお聞かせください。
今この瞬間の、目の前の仕事に一生懸命取り組むことが大切だと思います。
たしかに当社は、創業から「107年」が経っています。けれどそれは、一年一年を頑張って乗り越えて、気が付いたら107年が経っていただけだと思うんです。景気がどう変動するか予測できないし、震災のような外的要因が起きるかもしれませんしね。
――振り返ったら100年続いていた、というイメージでしょうか。
そうですね。だから100年以上も会社が続いたのは、ある意味運が良かったと言えるかもしれません。確実に言えるのは、先代からずっと、目の前の仕事を全力で頑張ってきたから今があるということです。
――最後に、この記事を読む若者へメッセージをお願いします。
繰り返しになってしまいますけれど、そのときそのときに、仕事に誠実に向き合うことだと思います。簡単ですが、そんなことしか言えません(笑)
白井木工所について
ホームページ: http://shirai-moku.jp/