富山から世界へ!建設業の当たり前を覆す、3代目社長の素顔に迫る。
written by 川西里奈
1954年創業の塩谷建設株式会社は、再生可能エネルギーや苔を使った屋上緑化など新たな分野に取り組んでいます。
富山県高岡市にある本社の敷地内には、学童保育、障害児の訪問看護ステーションやデイサービス、そして自社の柔道場まであります。
建設業という枠を越えて社会課題に向き合う塩谷社長に、その根底にある思いを聞くと、意外な言葉が返ってきました!
塩谷洋平(しおたにようへい)
富山県高岡市伏木出身。「敷かれたレールの上は絶対に歩きたくない」という思いと柔道部の先輩の影響で、地元を離れ横浜の桐蔭学園高等学校へ進学。中央大学商学部を卒業後、大成建設で営業職として勤務。富山に戻り塩谷建設株式会社の3代目代表取締役社長となる。
「志はありません。ただ出会いに恵まれただけなんです」
ーーー塩谷建設は建設業以外にもさまざまな分野に取り組まれていますが、どういった志を持たれているのでしょうか?
塩谷:よく皆さんに言われるんです。「志が高いですね」って。でも僕、志ってあんまりないんです。
ーーーえ!でも、会社の中に、学童保育と障害児の訪問介護ステーションとデイサービスがある民間企業は他にないと思います。
塩谷:たしかにそうなのですが、始めから子どもやお年寄り、障害者の方のために何かしたいという思いがあったわけではありません。ただこれまで出会う人に恵まれ、目の前にあるひとつひとつのことをやった結果なんです。
障害者施設でオーナーをしている方は、ご自身の娘さんが心臓の手術をした経験がありました。「将来の目標はなんですか?」と聞いたら、「障害を持った子どもがいるお母さんを復職させること」と話していて、それならうちの会社の1階にコワーキングスペースがあるので、預けながら仕事をすればいいじゃん、という話になったのがきっかけでした。だって、子どもがいるお母さんがひとりで起業するのは大変じゃないですか。
ちょうど社屋をワンフロアにリノベーションしたら、スペースが空いたので、誰かに貸したほうがいいいなと思っていました。それによって人が幸せになれる場所ができるとさらにいいなって。
学童はNPOとして運営されている、笑顔スポーツ学園さんに入居いただきました、理事長は富山福祉短期大学の先生をされていて「狭い部屋で勉強させるだけの場所じゃなく、思いきり体を動かせて、子どもが毎日通いたくなるような学童をつくりたい!」と言っていました。その言葉を聞き、「それならうちに広い柔道場があるからやればいいですよ!」となったのがそもそものきっかけです。
▲学童に通う子どもたちは、広々した柔道場で運動することもできる。
スポーツを通じて子どもたちに世界中に友達をつくるという活動の支援もしているのですが、それもお酒の席で台湾人の人と柔道の話になって、台北では有名な柔道の指導者から、「柔道を通じてやりたいことあるの?」って聞かれて。何もないって言えないじゃないですか(笑)。
だから「柔道をやっている子どもたちが、強い弱い関係なく、世界に友だちができるような環境をつくりたいです。今度の大会には、台湾の子どもたちを呼びます!」ってお酒も入っていたし言っちゃって。お金は少しかかりましたけど、言った手前やりました。その交流は7年間継続しており、日本の民間企業としては初めて、台北市立大理高級中学校と提携を結び子どもたちの交流事業を行なっております。
▲台北市の立大理高級中学校を訪問し、友好提携を結んだ。
ミャンマーに行ったときにも柔道連盟の会長に会ったら、「畳がないから柔道を広めるのがむずかしい」って話が出てきて。それでうちに190枚畳があるぞと思ったから速攻で送ったんですよ。そしたらすごい喜んでくれて。そんな感じで、結果としてやっていることは他の建設会社と違うんですが、ひとつひとつをはじめから描いていたわけではないんです。
たまにスポーツ選手と対談してくれとか、学校とかに呼ばれて「夢を語ってほしい」なんて言われたりしますが、はじめは夢も志も本当になかったんです(笑)。目の前のことを一生懸命やってきたら、意志が生まれて結果的に小さな夢はたくさんできました。それでこうなっただけなんです。
すべての当たり前を疑うことが始まりだった
ーーー塩谷さんが会社を継いだのにはどんな経緯があったのでしょう?
塩谷:元々は会社を継ぐ気はなくて、どこかへ就職しようと思ってました。というのも、小学校の頃に、柔道の大会で優勝すると、「あいつはじいちゃんが社長だから良いトーナメント入れたんだ」とか聞こえるように言ってくる大人がいたりして。自分のことを誰も知らない世界に行きたかったんです。生意気な悩みだとは思いますが、本当の自分の能力を知りたいと思っていました。
中学生の頃、柔道の先輩が横浜の高校に行ったのを知って、これは自分も親元を離れられるチャンスだと思い、そこへ行くことにしました。高校時代には、これまで自分が学校や親や周りのせいにして言い訳ばかりしてきたことに気づき、一生懸命やっていくうちに家業のことなども気にしなくなっていましたね。
でも、大学3年生になり就職の相談をしたときに先生から「君の家の建設業はこの先経営は大変だよ。東京でサラリーマンになったほうが良いんじゃない」って言われて、なんかカチンときたんですね(笑)。やっぱり僕にとって創業者のじいちゃんは小さい頃から自慢のじいちゃんでしたから。それで「俺は家を継ぎます」って言ったんです。
ーーー実際、会社を継いでからはどんな思いを持って経営をされてきましたか?
塩谷:2代目の経営者である父から会社を引き継いだとき、すべての当たり前を疑うところから始めようと思い、いろんなものを変えました。社屋もワンフロアにリノベーションし、経営理念も変えました。
建設業に携わり始めてから「言われたものを安く造るだけの建設会社に未来はあるのか?それで社員は幸せになれるのか?」と疑問をずっと持っていました。単に言われたものをつくるだけの建設会社ではなく、より豊かな未来を創ることに挑戦していきたい。その思いから“未来の元気を創造する”を新たな経営理念としました。創業者である祖父が掲げた“誠意と創意”という経営理念は社是として残し、すべての行動の根底としています。
ものづくりができるのが建設業の一番の強みなのだから、自分たちが必要なものを造っていける会社になりたいと思い、自分たちが事業主となって造りたい物を造ったんです。じゃあ次は設計も販売も、不動産も、と挑戦し、できる分野を増やしていきました。
若者が夢を持てる環境をつくり、富山をもっと元気に
ーーー今、力を入れている取り組みについて知りたいです。
塩谷:新卒採用と教育です。僕は社長就任時から、60億の売上を100億にすることを目指しています。途中までは順調にいったものの、あと少しというところで100億の壁は越えられていません。そこで、どれだけ立派な成長戦略を立ててもそれを成し得る人がいなければ達成はできないのだと気がつきました。
でもそのためには、この会社に魅力を感じて人が来る、そしてその人が成長する。そういう仕組みが必要なんです。社員のためのシェアハウスを作ったり、海外とのつながりを持ったり、東京でいろいろと仕事をしているのもそのためです。
「富山でしかものづくりができない会社と、東京や世界でものづくりができる会社があるとしたら、どっちがおもしろい人材が集まるか?」そういったことを自問自答しながらやっています。
ーーー建設業って新卒よりも即戦力を採用する、というイメージがありました。
塩谷:高卒の子が資格を取ってキャリアを積んで初めて現場の監督になれるまで10年はかかります。それをリスクに感じることが多いので、建設業では即戦力を採用することが多いですが、中途半端な即戦力って、3年後には根っこがしっかりしている子には抜かれます。
僕は、学校では悪い子だと言われてきた問題を起こしちゃうような子も採用するんですが、悪いことをしてきたことよりも根っこが良いことが大事です。根っこが良い子が成長して、即戦力と言われている人たちに追いついたら、そっちのほうが実は強かったりするんです。
誰もが平等に成長してチャンスを得られるように、資格取得から基本的なマナーまできめ細やかに幅広く学習を行える社内アカデミーを作りました。建設業の基礎的なことを教えていく仕組みとして、動画も作成し活用しています。
ーーー若い人にとっても夢を描ける会社であることは大事ですね。
塩谷:おもしろい会社をつくりたいという思いは、ふるさとの富山が大好きだからでもあります。魅力的な選択肢があればUターンや県外からの若い人も増えて、富山が元気になっていくと思うんです。今年の新卒は17人入りましたが、そのうち4名は富山県に縁もゆかりもない人です。その前年は、経済産業省のインターンシップで来たベトナム人も2人います。
既成の枠にとらわれずに、柔軟に考えてどんどん新たな分野に挑戦し、若い人にとって魅力ある会社であり続けたいですね。
▲2021年は新卒17名が入社。“社内アカデミー”を活用し建設業の基礎からしっかりと学んでいる。
取材を終えて
これまでの建設業という枠を大きくはみ出して、ダイナミックに挑戦を続ける塩谷建設。しかし蓋を開けてみると、始めから大きなビジョンを描いていたわけではなく、人と人とのつながりの中でミッションが生まれ、周りの人とともにできることを増やしてきたのだ、ということがわかりました。
そもそも「志を持つ」とは、そういった道のりの中で心が動いた方向へ突き進むということなのかもしれません。塩谷さんの行動の先に、これからどんなものが造られていくのか楽しみです。