社員とお客さまに育ててもらってきた。先代と一緒に築いてきたレントオール福島で得たもの

レッド

written by ダシマス編集部

福島の地で、イベントに必要な機材のレンタルやイベントそのものの企画・運営に携わるレントオール福島。同社の代表を務めるのが、宮坂佳代子(みやさか かよこ)さんです。宮坂さんを一言で表すとすると「謙虚」。

取材中も何度も周囲への感謝の気持ちを述べられており、そのお人柄が伝わってきました。レントオール福島に入社するまでは、専業主婦だったという宮坂さん。知人からは「本を出せるくらい波瀾万丈だ」と言われるという彼女とレントオール福島の道のりと、これからの展望に迫ります。

代表取締役社長 宮坂 佳代子(みやさか かよこ)さん

代表取締役社長 宮坂 佳代子(みやさか かよこ)さん

1955年郡山生まれ。専修大学商学部卒。専業主婦の期間が長かったため、社会人経験は少なかったが、先代との出会いをきっかけに1999年7月同社の取締役に就き、株式会社レントオール福島を設立。2017年、先代が急逝したため代表取締役に就任。趣味は旅行と読書。

執筆:川又 瑛菜(えなり かんな)

執筆:川又 瑛菜(えなり かんな)

フリーライター。求人広告代理店や採用担当などHR領域の経験を活かし、企業へのインタビュー記事や採用広報記事、イベントレポートを中心に執筆している。フランスでの生活を目指してフランス語を勉強中。読書と人文学が好き。

自分が引くわけにはいかない。その気持ちでやってきた

――早速ですが、宮坂さんがレントオール福島の代表となるまでのご経歴を教えていただけますか。

実は私は、44歳まで専業主婦だったんです。専業主婦になる前に数年働いたことはありましたが、ほぼ社会人経験がありませんでした。その上に世間知らずと言いますか、恵まれた家庭で主婦をしていたため自動車税というものの存在を知らないほどでした。そんななかで、子どものPTAの仲間だった先代の社長の誘いで、この会社を2人で創業したんです。

ある時、先代が行っていた運送業の経理を少しの期間だけ手伝うことになりました。それから数ヶ月経った頃に、レントオールの話がやってきました。

当社は西尾レントオール(株)のフランチャイズです。当時同じフランチャイズに加盟していたレントオール店が郡山から撤退することになり、引き継いではどうかと先代のところに話がきました。そして先代が「あなたが一緒にやるならば受けるが、やらないならば受けない」とおっしゃって、「せっかくそう言っていただいているのであれば」と、一緒にやることを決意しました。

そこから18年間、先代の社長と一緒にやってきました。弊社は県内で一番最後にできたイベント関連の企業で、かつ創業が1999年と景気の悪い時期。「なんでこんな時に起業?」とも言われましたが、とにかく必死に取り組みました。どんなところにもいつでも2人で顔を出して2人で動いて。レンタル業ではありますが、ただのレンタルではなくて立ち会いや運営サポートなど、幅広くイベントの開催を支援してきて今に至ります。

残念ながら先代は6年ほど前に急逝してしまい、そこから私が代表を務めて今に至ります。

 

――ほぼ社会人経験がないとのことですが、いきなり会社の経営となると苦労されたのではないでしょうか。

そうですね。専業主婦で何もわからないところからずっと手探りでやってきました。お客さまやイベントスタッフ・社員など、みなさんに育てていただいたことがここまで私がやってこれた一番の理由だと思っています。

先代が亡くなって以降、やっと落ち着いたかなと思った時に、水害があって、次はコロナで、とずっと激動の日々を送ってきました。そんななかで当社が今も続いているのは、ひとえに西尾レントオールの後押しや他の会社の助けなど、周囲のみなさんの力のおかげですね。

なかでも、創業初期は大変でした。創業してしばらくは借金も絶えず、でも引くわけにはいかない。なんとか会社を軌道に乗せて、みんなに迷惑をかけないよう頑張らなければならないとの想いで踏ん張ってきました。

 

周囲の助けのおかげで生まれた社長としての覚悟

――いろいろ大変な場面もあるなかで、どのように乗り切ってこられたのでしょうか。

一番は仕事と人が好きという気持ちですよね。この仕事が大好きなので、「どんなことがあっても会社を守って、地域とつながっていたい」という気持ちがあったのが大きいと思います。そして、この会社に期待をしたり多くのものを託したりしてくれているお客さまや、社員に対する社会的責任を果たさなくてはならないという想いも自分の力になりました。

あとは先ほどもお伝えしたように、地元の人々に助けられてきたことですね。それに尽きます。会社としてこれまで「できない」などの否定語はお客さまに対して一切使わず、とにかく要望に沿ってやってきましたが、そのおかげもあってか、本当に先代が亡くなってからも皆さんに支えていただきました。

イベント業界は夏は本当に忙しいものの、閑散期は極端に仕事がなくなる振り幅の激しい業界で、社員の入れ替わりもありました。先代と二人三脚で動くことが多かったのですが、その先代がいなくなって1人になってからも、ずっとお客さまに支えていただいていて、感謝の気持ちでいっぱいです。
 

――お話を聞いているとまさに、経営理念である「感謝と利他の心をもって人の心を大切にする」ことを体現されているなと感じます。この理念は、先代の頃に作られたのでしょうか。

いえ、先代が亡くなった後に先代の気持ちを汲んで作ったものです。当社は赤字と借金から始まった会社ということもあって、創業してしばらくはとにかく余裕がありませんでした。社員の定着率も高くなかったですし、ただただ目の前の仕事に必死に取り組む毎日でした。

しかし、世の中が変わってそのがむしゃらさだけでは進めなくなりましたし、自分としても先代がいなくなって目指すものがわからなくなってしまったんです。そこで原点に戻ろうと考えて、今の経営理念・経営指針を作りました。この「感謝と利他の心」は経営において、何よりも大事にしています。

 

 

――先代が急逝されて、ご自身のなかでも葛藤も多かったと思います。そこから今のように前向きに進み始めるきっかけとなった出来事があれば教えてください。

社長になって2年ほどはこれでいいのかなと手探りで会社を運営していました。でも、ちょうどその頃に起きた水害で、未熟であろうと失敗の連続であろうと責任は自分が取らなければならないということを身をもって知り、腹を括ることができたんです。

水害で差し迫った状況に追い込まれたとき、役所の人が心配して会社に足を運んでくれたり、周りの企業が手を差し伸べてくれたり、周囲の人がたくさん応援してくれて。そうしてみんなが助けてくれる姿を見て、「自分は社長として自立して、責任を持って会社のことを考えていかないといけないんだな」と覚悟のようなものが生まれましたね。


 

死ぬ時まで前を向いていたい

 

――仕事に向き合うにあたって、宮坂さんが大事にしていることは何でしょうか。

私には社会人としての経験も深さもないので、ただひたすら誠実に正直に、そして前向きに一歩ずつ進むこと、それだけを大事にやってきました。

社員も自分が社長になったことで、違和感を持ったことや噛み合わないと感じたことも多かったと思います。でもそれも自分の学びになりました。まだまだ会社も中途半端な状況なので、60代じゃなくて40代くらいだったらいいのになと、時々思ってしまいます。でもそうも言ってられないので、利他の心を大事にしつつ、これからも誠実、正直、前向きに、少しでも会社を前に進めていきたいですね。

また、社員のやりがいや幸せも大切にしています。以前はトップダウンで、正直に言うと先代と私がいればなんでもできるような気持ちでいました。でも、先代が亡くなってそうではないことに気づきました。社員の大切さを強く感じたんです。

社員の意識が高くなければ会社もうまく回りませんし、反対に社員の高い意識があれば、仕事も自ずと高いレベルになっていきます。社員一人ひとりの意識が高まって、それによりやりがいを持って働けてみんなが幸せになることが何より大切だと考えています。その社員の充実感に比例して会社が良くなるんだろうなと考えるようになりました。特にここ1年くらいはなおさらそう感じています。

以前は打ち合わせも先代と私で行っていましたが、今は自分が前に出ることはほとんどありません。社員がみんなで考えながら、打ち合わせから現場の運営、人の手配まで行っています。ほぼほぼ社員だけで動ける状態になったので、その意味では先代がいた頃と比べて会社は大きく変わったかもしれませんね。

 

――今後のやりたいことや目指していることはなんですか。

働きやすい環境づくりです。イベント業界は生身の人間がいないとできないアナログな業界なので、社員が働きやすい環境を作っていかないと会社の存続が難しくなってしまいます。

昔は繁忙期はあまり休みもない状況でしたが、労務管理を見直して、きちんと休みを取れる環境を作ってきました。来年には今以上に休暇を増やすことも予定しています。

外注先やアルバイトの力を借りながら労働環境を改善してきた結果、残業をしなくてもいい体制がやっとできてきました。社員たちも充実感を持って働いてくれていると感じていますが、さらに働きやすい環境を目指したいと考えています。

また現代は、この先イベントがどんなふうに変わっていくかは想像もできないくらい変化の激しい時代です。どんな変化があったとしても、人を大事にして、与えられた仕事をお客さんに寄り添いながら一生懸命やっていくことは続けていきたいです。

変化に応じて失敗を恐れずに挑戦していくことが自分の成長にもなると思うので、それを大事にしていきたいですね。私は68歳ですが、まだまだ社会人としても人間としても未熟です。死ぬ時は前に倒れるくらいの気持ちで、後ろを向くことなく進んでいきたいですし、命が燃え尽きるまで日々楽しく生きていけたらいいなと思っています。

 

――命が燃え尽きるまで、かっこいいです。そんな宮坂さんは社長としてどうありたいと考えているのか、教えていただけますか。

社長は一番謙虚であるべきで、かつ一番頑張らないといけません。そしてみんなを育てる役割でもあります。でも育てる以上に、私自身が一番社員とクライアントに育ててもらってきました。その教えられたことを少しでも次世代に伝えていくことを意識しています。育てるなんてちょっと上から目線かもしれませんが、自分の学んだことはきちんと次の世代に届けたいです。伝道師のようなものかもしれませんね。

また、私は今たまたま代表という役をやっているだけで、みんなとなんら変わりないと思っています。また別の誰かが社長になれば、どんなポジションにつくか、はたまた一般人になるのかわからないが、とにかく違う役になるでしょう。

自分が二代目になったように社長は変わっていきます。でも、次の社長や次の次の社長も利他の心やお客さまへの感謝は必ず伝えていってほしいですね。仕事をしていく上では、仕事の能力や利益を出せるかだけでなく、徳を伝えられる人であることが大事なのではないかと思います。

仕事はいつなくなるかわかりません。クライアントからいつ切られるかわからないし、いつ再び発生するかもわからない。そんななかでも、人を大事にして人とつながっていくことが重要だと思いますし、「そのために必要なのは徳を大事にしていくことなのだ」と私は考えています。

こんなことを言いながら自分もまだまだ実践し切れていませんが、徳を伝えられない人は上に立てないのではないでしょうか。若い人の考え方や教育が変わっていっても、最後はそこに尽きると私は思います。

 

 

――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

今回は仕事についていろいろとお話してきましたが、最終的に一番大切なのは個人の幸せで、仕事はそれに紐づいているひとつのアイテムにすぎません。自分が仕事を通して、幸せをどんなふうに見つけて、どんなふうに成長していきたいのかという意識が大切だと思います。今の若い人は求めるものがモノから感情や体験など内面的なものに変わっていると聞きます。これまでのようなお金などの物質的なものではなく、そうした測りにくいものを指標に仕事を選ぶのも大変だと思いますが、経験や失敗を通じて自分と向き合っていけるいい仕事に出会えれば、きっと幸せにつながるのではないでしょうか。

レントオール福島が行っているイベント事業は、感動も大きくて人の笑顔も見られて多くの人に出会えて、私自身は「こんないい仕事はないな」と思っているほど充実感の得られる仕事です。なのでぜひ、失敗を恐れたり大変そうな業界だと尻込みしたりせず、興味があるならぜひチャレンジしていただきたいですね。経験してはじめて気づくことは多いので、この業界もぜひ経験して、失敗もたくさんしながらこれからの人生の糧としてもらえるとうれしいです。


 

株式会社レントオール福島について

・ホームページ:https://rentall-fukushima.jp/

 

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