建設業は、人が要。地元大町とお客様のために尽力し続けるピュアハウスの25年間に滲む愛情

レッド

written by ダシマス編集部

「私たちは、お客様と充分話し合い、お客様の理想の家を建てることを目指しています。」1999年に長野県大町市で創業した株式会社ピュアハウスのホームページには、こんな一言が記されています。

建設業をはじめ、飲食業・ゴルフ練習場運営、さらには不動産業など多岐にわたる事業を展開するピュアハウス。今回取材した代表取締役社長の内山 重喜(うちやま しげき)さんの言葉には、人との縁と地元大町市や八坂村を心から大切にしている姿勢が滲んでいました。創業当初の苦労も赤裸々に明かしてくださった内山さんとピュアハウスの歴史に宿る、地元への深い愛情にじんと胸が熱くなるはずです。

代表取締役社長 内山 重喜(うちやま しげき)さん

代表取締役社長 内山 重喜(うちやま しげき)さん

1959年(昭和34)1月、長野県大町市八坂(旧北安曇郡八坂村)生まれ。1979年、国立長野工業高等専門学校 土木工学科卒業。1999年7月、40歳で株式会社ピュアハウスを設立。2024年で創立25周年を迎えた。

一念発起し40歳で独立。逆風の中、寝ずに働いた創業後の10年間

 

――最初に、貴社の会社概要をお伺いしてもよろしいでしょうか。

長野県大町市八坂に拠点を構え、土木・設備などを含む総合建築事業を主軸に、居酒屋・レストランの2店舗を運営する飲食事業とゴルフ練習場運営事業を展開しています。1999年7月に創業し、今年で25周年を迎えました。

 

――創業に至るには、どのような経緯があったのでしょうか。

建設業で1年、八坂村役場で2年働いたのち、二十歳から父の建設会社で17年ほど働きました。次第に自分の力で会社を立ち上げたいと思うようになり、40歳のときに独立したんです。長年建設業で勤め上げてきたので、会社を創るときも他の選択肢は考えられず、同業でスタートしたというのが率直なところですね。

県政としても建築業には逆風が吹く時代だったので、今振り返ると思い切った判断だったなとも感じます。創業当時はいろいろと苦労しましたが、今となってはいい思い出です。当時の仲間とは今でもよく酒を飲み交わしますし、仲間がいたから今があるという思いですね。

 

――独立したいと思うようになったのには、何かきっかけがあったのでしょうか。

当時役員として活動していた、八坂村商工会の青年部での出会いが刺激になりましたね。

父の会社は兄が継ぐことになっていたので、私は将来的に社長にはなれない状態でした。でも私と同年代で会社の2番手として活躍する方や、早い人はトップとなって会社を引っ張っている方に何人も会っているうちに、独立への思いが強まっていったんです。

もちろんそのまま父の会社に身を置いた方が安定はしていたでしょうけれど、情熱を捨てきれずに挑戦する道を選びました。

 

 

――当時どのような苦労があったのか、印象に残っている出来事を教えてください。

建設業は、特に初期投資がかかる事業なんです。土地を買い事務所を建てるところから始まって、その次に建築資材や機械、設備を用意しなければいけない。ゼロからのスタートなので、事業のためのインフラ整備にはかなりの資金を要しました。

収入はないのに出費だけが増えていくわけなので、最初の10年ほどは非常に厳しい状況でした。不動産の下請け業も請け負ったので仕事は大量にありましたが、なかなか利益が上がらず……。夜中の3時くらいまで図面を起こして、昼間は現場に出てと、ほぼ寝ずに働いていましたね。それでも、自分の力で会社を回すというのはやはり楽しく、なんとかやってこれました。

 

幅広い事業展開の裏には、地元への愛情が。「街の灯を消さない」の言葉に秘めた想い

――主軸の建設業のほか、飲食・ゴルフ練習場運営と多岐にわたる事業を展開されています。それぞれを始めるに至った経緯も、ぜひお聞かせください。

先ほどお話した八坂村商工会で、元々蕎麦屋を営んでいた当時のオーナーが高齢で店を手放すことになり、営業を引き継いだのが飲食を始めるきっかけになりました。とはいえ小さな村ですから、古くから飲食店はなかなか人が入らず赤字続き。5年で店を閉め、大町市で人を集めて売りに出ていた居酒屋を購入して新たな業態へシフトすることにしました。

 

 

やっとのことでオープン!と胸を弾ませていた矢先、不幸にもコロナに見舞われてしまい……。建設の業績は好調だったのでなんとか持ち堪えられましたが、3年半くらいはまともに影響を受け、大変な状況でした。

レストランは鷹狩山展望台にあるんですが、父の会社時代に私が手がけた建物で。展望台も私が代理人となって建てられたものなので、格別の思い入れがあるんです。

ゴルフは元々趣味だったのですが、たまたま練習場が売りに出されていたので、古い施設を改修して事業着手に至りました。飲食業はコロナで大きな打撃を受けましたが、ゴルフの方は反対に人がたくさん入って売り上げは好転しましたね。

 

――ゴルフは趣味、飲食業は地元八坂村への想いや人の縁から大町市へ広げていったと。

そうですね。八坂村は2006年に大町市に合併されたこともあり、地元には少なからず愛情を感じています。八坂商工会の役員から、現在は大町商工会議所副会頭の役を担う立場になり、市全体を見つめられるようになりました。

人口2万数千人という小さな市ですが、それでも飲み会や食事会などの交流は当然あります。コロナなどさまざまな逆風はありますが、街に飲食店が少ないというのは寂しい。街の灯を消さないという意味でも、飲食店は続けていくつもりです。

 

 

――「街の灯を消さない」。ピュアハウスの飲食店は、地域の集いを絶やさない場づくりの意味合いもあったのですね。

商業施設のフリースペースなども少なくなってきているので、大人だけでなく高校生や若者にとっての溜まり場のような居場所もなくなり、みんな松本あたりまで出ていってしまうんです。彼らにとっても何かしらの場所を作れればと思いつつ、ある程度の収益性も考えないといけない。どう実現していけばいいか、日々あれこれと考えています。

 

――内山さんの地元愛や、情の厚さがひしひしと伝わってきます。

元々の性分ですが、人とのつながりは何より大切にしているんです。協力会社や一緒に仕事をしてくださる方には感謝を忘れず、上下関係なく親しくしていきたいですし、従業員に対してもなんでも気兼ねなく打ち明けてほしいと常に伝えるようにしています。

実は昨年、弊社の専務を勤めていた息子が急逝してしまい、大変ショックを受けてしまいました。一時は会社を畳んでしまおうかとも考えたのですが、仲間や従業員に支えられ、あと10年は頑張ろうと前を向けるようになりました。

創業直後には協力会社30社ほどを束ねて協力会を作り、仲間同士のスムーズな連携を維持できるような体制を整えました。今年は業績も好調なので、生まれ故郷の八坂のためになればと大町市に微力ながら寄付もさせていただいたんですよ。大町商工会議所に携わって15年。先輩から受け継いだ意志を次世代に引き継ぎながら、地域のために力を尽くしていく所存です。

 

大きな買い物だからこそ、お客様の想いに最大限寄り添う

――ピュアハウスだからこそと感じる強みを教えてください。

弊社は公共工事だけでなく、民間工事にも力を入れてきました。建設業ともなると大きな金額をいただいて仕事を任せていただくわけですから、とにかくお客様との信頼関係をしっかりと築き上げ、想いに寄り添ってカタチにしていくことが大事。そのために、現場の声をすぐに上に吸い上げ、またすぐに現場に反映できる仕組みを敷くように意識しています。

 

 

――顧客の声に柔軟に対応できるような体制を整えているのですね。

図面だけではどうしてもイメージできない部分もあると思いますので、お客様とは現場でもよくコミュニケーションを取り、相談しながら形にしていきます。多少の変更点は追加費用もいただきませんし、お客様にとってプラスになる方法を選択できていると思いますね。モットーは「仕事は真面目に、お客様に迷惑はかけない」。つねに寄り添い、近い距離でお付き合いしていきたいんです。

飲食店経営においても、馴染みのお客様にはよくお声がけするようにしていますし、ゴルフを通して広がった人との縁も大切にしています。建設業の社長は無口な方も多いですが、いい縁をつなぐためにはたくさんの方々と接していくことが不可欠だと思うんです。

 

――内山さんには、つねに人を惹きつける不思議な求心力があるのだなと感じます。

確かに、創業以降本当に人に恵まれているなと実感しています。

最近は長野に移住するIターンも多く、いろいろなお客様との出会いも増えました。最近不動産業も始めたのですが、コロナ以降は地方移住を希望され、白馬で住まいを探される方も多くいます。白馬は雪が多く住むには大変ですが、車で30分ほどの大町まで候補を広げるとかなり住みやすくなるので、大町北部も移住者の方が増えてきているんです。

 

 

建設業は、人材集めが寿命に直結する。柔軟な雇用や待遇改善で、採用にも意欲的

――職場環境について、教えてください。

従業員数は30名ほどと小さい会社ですが、社内に7〜8人の大工が所属しており、市内では最大規模の人数だと思います。

地元住民も多いですが、最近はIターンでこちらに来たばかりという社員も増えました。年齢層も比較的若めで、最年少が22歳。地元の高校生もよく会社訪問に来ており、若手の採用も意欲的に取り組んでいます。

 

 

――待遇面で、ピュアハウスならではの制度などがあればぜひお聞きしたいです。

試験的に「季節雇用」という新たな制度を実施しています。スキーを趣味にしている従業員がいるのですが、夏場は現場でしっかり働いて冬場は趣味に没頭する形で仕事をしてもらっています。従来の働き方に固執するのは、今の時代に合わなくなっていくのかなと。

最近はeスポーツなど、趣味の形もさまざまです。どんな趣味でも時期がありますから、シーズンオフには仕事に注力してもらい、それぞれのやりたいことを尊重しながらうまく対応できればと思っています。

 

――雇用の柔軟性は、求職者にとって特に魅力的に感じられそうです!従業員と接するうえで、心がけていることはありますか。

どの現場で何の施工が進められているのか、きちんと把握して何かあればすぐに対応できるように努めていますね。

一般的に、現場管理は自社で行い、ほかの現場作業は外注する建設業者はよくありますが、弊社は土木・設備・大工の職人を自社で抱えています。その方が現場で受けたお客様の声をすぐに社内全体に共有できますし、全体の状況が把握しやすくなるので、万が一トラブルが起きた際もすぐに対応しミスを最小限に抑えられるんです。

他にも、決算手当など各種手当で利益還元したり、働きやすい環境を整えたり……。従業員にとっても距離感の近い存在でいたいと考えているので、仕事外のこともよく会話し、何かあればいつでも相談してほしいと常々伝えています。あとは、「自分のためにも家族のためにも、怪我はするなよ」ともよく声をかけていますね。

 

 

――最後に、貴社の今後の展望を教えてください。

建設業は、人材集めが寿命に直結する事業だと思っています。情報集約やテキストでのコミュニケーションは、わかりやすくスピーディなシステムを積極的に導入してデジタル化を取り入れていますが、それでも現場でモノづくりをするにはどうしても人の力が要る。顔を見合わせてでないとうまく伝わらないこともあるし、デジタルとアナログをうまく掛け合わせられる会社が生き残っていくと考えているんです。

若手層だけでなく、管理者として活躍できる人や、管理職として活躍してくれる女性の採用にも力を入れていきたい。事業の幅広さや人とのつながりを大切にする弊社の考え方に賛同してくれる方がいたら、ぜひとも仲間になっていただきたいと思います。

(取材:大久保 崇・執筆:神田 佳恵

 

株式会社ピュアハウスの詳細・採用情報はこちらから

ホームページ:https://purehouse.jp/

採用情報:https://www.recruit.purehouse.jp/

 

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