㈱オーダースーツSADA『代々受け継ぐ家族の想い』が101年を超える企業の秘訣
written by 大場春香
創業101年を迎えた株式会社オーダースーツSADA。「オーダースーツで日本のビジネスシーンを明るく、元気に。」という志を掲げ、従業員300人の組織づくりに挑む佐田展隆社長。幼少期から受け継いだ価値観と、次世代への想いを伺いました。
株式会社オーダースーツSADA 4代目社長:佐田 展隆さん
1974年生まれ。一橋大学卒業後、東レを経て、29歳で家業に参画。経営再建の過程で一度は会社を再生ファンドへ売却するも、2011年に再度社長へ就任。スーツ姿でスキージャンプや富士山登頂など、独自のPR活動でも知られる。
祖父の膝の上で学んだ『おもてなしの心』
── 佐田さんはどんなお子さんだったんですか?
自己概念(※自分自身についての理解や認識)の高い子どもとして育ててもらったと思います。祖父や父はめちゃくちゃ厳しかったんですけど、母はとにかく私に対して厳しいことを言わない、ものすごく優しい人でした。
ちっちゃい頃は背が小さかったんで、小さく前ならえで腰に手を当てるのが屈辱でしたね(笑)背が小さいとモテないわけですよ。ムカついて女子とかに嫌がらせするから余計嫌われて。好きな子の筆箱にムカデとか入れてましたね(笑)「バレンタインで義理チョコ一個ももらえなかったの僕だけだった」って言うと、母は「展隆はそんなことないから。絶対イケメンになるから」って言い続けてくれました。
私が父から社長の話をもらった時もそうですが、どれだけ孫や子どもに期待をしているのかということをすごく言葉で伝えてくれていたんですよね。その結果、厳しい局面に何度ぶち当たっても自己概念を崩さずに来れたのかなと思います。
── 事業を通じて『おもてなしの心』を重要視されていますよね。こちらもお父様やお祖父様からの教えが大きいのでしょうか?
小学生の頃から、祖父のやっている仕事は大事な商売なんだと教えられてきました。晩酌の時間になると祖父の膝の上に乗せられて、戦争の頃の話をよくしてもらいました。そんな中で、当時戦争を経験されていた世代の方はやはり『おもてなしの心』という感覚が大きかった。「お客様は神様です」とか「社内の人たちも顧客だから大事にしなきゃダメなんだ」とか。最初は意味が分からず、めんどくさいなと。長い話をしているなという感じでしたよ。『茨の道を行け』という言葉も、行くわけないだろうと。でも、実際の経験や見たものや聞いたものが重なってくると、だんだん確信になってきましたね。
── お祖父様との思い出に残っているエピソードを教えてください。
戦争時代、祖父は通信隊にいたので、とても手先が器用だったんです。だから、結構凝ったゲームを作ってくれました。模造紙を壁中に貼って大きなあみだくじを作ったり、ボールがくっつくようなダーツを作ってくれたり。景品を用意して、孫たちを集めてパーティーのようなことをよくやってくれましたね。家族に対しても『おもてなしの心』は忘れない人だったなと思います。
── 幼い頃から社長になる夢をお持ちとのことでしたが、それ以外に興味はあったんですか?
普通の子どもと同じような気持ちは持っていましたよ。アポロの影響がまだあったので、宇宙パイロットも楽しそうだなと思っていましたし。キャプテン翼が流行っていたから、プロサッカー選手も考えていないわけではなかったんですけど。でも、周りの期待は社長になってほしいということでした。
一方で、父は最後まで「お前だ」とは言ってくれなかったんですよ。だから、父に認めてもらわなければならないというゴール設定をいつの頃からかして、生きてきているんですよね。
自己概念をつくる六つの約束
── 現在二人のお子さんがいらっしゃるんですよね。意識して伝えていることはありますか?
私は祖父や父、母からの言葉で自己概念が強くなっていったので、自分の子どもたちにも必ず伝えなきゃいけないと思っています。
まず子どもたちの名前の由来をサンドブラストのガラスの置物に、きちんと文章として残しているんです。漢字は自由に選んでいいと妻に言われていたので、自然の字を選びました。人間というのは、自然から学んでここまで進化してきたから、自然を好きになってほしいと思っています。
妻は関西出身でね、瞬間沸騰系なんですよ。よくティファールって呼んでるんですけど(笑)すぐ子どもに「ほかすぞ!(関西弁で「捨てる」という意味)」とか「しばくぞ!」って言っちゃうんです。その代わり瞬間冷却系ですけどね。だから、妻がそうなった時は「君たちが生まれてきてくれて、お父さんとお母さんはこんなに幸せなんだよ」って話をなるべくしてあげるようにしています。
それから私が祖父の膝の上で聞かされたことをいくつかピックアップして「こういう人になってほしいんだ」ということは、分かりやすく伝えるようにしていますね。
── どういったものなんですか?
一つ目は『明るいあいさつ、元気なお返事、心のこもったありがとうとごめんなさい』
二つ目は『キリスト教の黄金律』
三つ目は『脱いだ靴は揃える』
四つ目は『いつも笑顔で朗らかにいなさい』
五つ目は『嘘はつかない。約束は守る』
六つ目は『今を生きる』
この六つです。
あるべき姿を教える、見せる、そして崩れそうになった時に寄り添ってあげる。親ってこれしかできないと思うんです。だから、自分が祖父母や両親に言われてきた言葉を子どもにも分かるように伝えています。
中間管理層の育成で300人の壁を突破したい
── 従業員も家族同様大切にされている佐田さん。同じように意識されていることはありますか?
言葉が違うだけで、同じことを伝えています。それしか話しちゃいけないと思っているんです。祖父も父も本当にブレない人でした。同じことばかり言われるわけですよ。しかし一方で『君子豹変す』という言葉のように、豹変すべき時は豹変しなければいけないんだということも言っていました。そのためには、一貫したスタンスを持つことが大事ですよね。昨日はこう言って、今日はああ言うという人は、何か言うことが変わっても豹変したとは言われませんから。
── 佐田さんが目指す理想のチーム像はどのようなものですか?
全員が同じものを見ていて、それを達成するために大切にしている価値観が揃っている組織ですね。あまり揃いすぎると同じ人ばかりになってしまうので、それ以外の部分はいろいろあっていいと思うんですけど。ミッション、ビジョン、バリューを同じ温度感で感じてもらいたいですね。
── 今感じている組織課題もあるのでしょうか?
直下の幹部までは一枚岩。その下の層には、濃厚ではないものの想いは伝わっているとは思います。その彼らが現場のメンバーに同じように伝えられるかというと、それができていない状態ですね。今までは営業の二名が全国のメンバーをほぼ統括できていましたが、ここからさらに店舗を増やそうと思ったら、中間管理職の育成が必要なんです。我々経営幹部がミッション、ビジョン、バリューについて中間管理層に伝えられ、中間管理層が現場に落とせるようになるかどうかの勝負どころです。売上目標を100億円と言っていますが、あくまで通過点です。300億円を目指す気持ちでいます。
創業101年、経営者のバトンを繋いでいくために
── 2019年に株式会社佐田からオーダースーツSADAに社名変更をされた時の覚悟を教えてください。
特に社内に対して「しばらくはこれ(オーダースーツ)でいくぞ」という意思表示の意味を込めました。『君子豹変す』のように、もしかしたらどこかのタイミングで変わるべき時が来るかもしれませんが、私は大概のことでは変わるつもりはないので。敬語と同じで、相手に礼を尽くすためのアイテムという意味でのビジネススーツを、やはり扱い続けたいと思っています。
── 今年で創業101年。将来的にはお子さんに社長を引き継ぎたいといったお考えもあるようですが、それまでにどのようなことをしたらご自身が成功できたな、と思えますか?
あらゆるステークホルダーを幸せにできる企業にして「お父さんの会社、良い会社だから継ぎたい」と子どもに言わせられたら、私の人生は成功だったと思います。ステークホルダーの中でも、優先順位の最上位は従業員です。従業員を幸せにし、その次にお客様を幸せにする。そして地域社会にも必要とされる会社として成長させたい。
ただ、継がせるかどうかは、私が選びます。
父が信じて期待してくれたから、今までどんなことがあっても崩れず踏ん張れた。本当に私を強くしてくれたと思っています。宝物ですよね。だから父と同じように、自分も子どもたちに接していけたらと。それができたら、私の人生は幸せだったと今際の際で思えるんじゃないかな。
株式会社オーダースーツSADAについて
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