福島のソウルフード『凍天』を守ったキノシタコーポレーションってどんな会社?社長の木下さんに聞きました
written by ダシマス編集部
外側はカリッ、内側はフワッとしたドーナツ生地の中に、モチッとした凍み餅が入っている福島名物『凍天』。昔から根強いファンが多く、テレビ番組でもご当地グルメとして取り上げられたこともある凍天ですが、製造販売元である会社の倒産によって失われてしまうかもしれないという危機に直面しました(参考)。
そんな危機を救ったのが、今回取材するキノシタコーポレーションです。スキンケア商品や回転寿司店を経営していた同社がなぜ凍天を引き継いだのか。社長の木下 秀之(きのした ひでゆき)さんに詳しく話を聞きました。
凍天の話だけでなく、キノシタコーポレーションとはどういう会社なのか、そして同社を経営する木下さんはどんな価値観を持った人物なのかも、しっかりお伝えします。
代表取締役社長 木下 秀之(きのした ひでゆき)さん
福島県福島市出身。59歳。福島のソウルフードで郷土食とも呼べる味の「凍天」を絶やしてはならないと、以前の製造元から事業を継承し、2020年に製造販売を再開させる。現在、福島県内に4店舗、宮城県仙台市に1店舗の直営店を展開。2021年4月には「冷凍凍天」を商品化。地元の大手スーパーや道の駅、高速道路のサービスエリアなど約100店舗に「冷凍凍天」を卸販売している。キッチンカーを導入し、その機動力を生かして、全国の様々なイベントや催事に出店し、「凍天」のおいしさを多くの人に伝えている。このほか、福島市内に「回転寿司 佐助 北海グルメ」を経営する。
執筆:大久保 崇
『ダシマス』ディレクター。2020年10月フリーランスのライターとして独立。2023年1月に法人化し合同会社たかしおを設立。“社会を変えうる事業を加速させ、世の中に貢献する”をミッションとし、採用広報やサービス導入事例など、企業の記事コンテンツの制作を支援する。
オンリーワンな商品・事業を展開する商事会社
――今日はよろしくお願いします!まずは木下さんのご経歴を教えてください。
地元の高校を卒業後、営業職を経験したいと考え、教材関係の会社に営業として就職しました。ですが、ある時点で会社の販売方法や姿勢に疑問を感じ、ここで長く続けるべきではないと考え退職しました。
その後、自分で小さな会社を立ち上げてスキンケア事業を始めます。僕が若い頃にお世話になった方がいて、その方の紹介でスキンケア事業をされていたある社長さんと知り合いになり、その方に「福島地区を担当しませんか?」と言われたのが始まりです。
その会社は、最終的にはキノシタコーポレーションに吸収合併される形になりました。ちなみにキノシタコーポレーションの創業者は僕の父です。父も、僕と同じ系列のスキンケア事業を展開していました。同じ事業をしていた2社が合併したというわけですね。合併後、スキンケア事業は大きく成長しました。
30年以上スキンケア事業に取り組んだ後、『凍天』を製造販売していた会社が自己破産に陥ったため、事業を引き受けて今は僕たちが製造販売しています。
――スキンケア商品から食品まで、扱われているものが幅広いですね。そもそもキノシタコーポレーションはどういう会社なのでしょうか。
1980年に創業して以来、オンリーワンの商品を扱ってきた商事会社です。扱っているものは多岐にわたりますが、他社が扱わないような商品を扱ってきたのが特徴だと言えます。凍天も、そのコンセプトに合致しました。
事業停止になりかけた凍天の販売が継続できる理由
――凍天の事業を引き継ぐことになった経緯を教えてください。
僕は一人のユーザーとして月に1〜2回ほど買いに行く程度だったのですが、その頃から凍天にはしっかりとお客様がついている印象を持っていました。
ですがある日、新聞記事で「凍天の事業を停止」というのを目にしました。あれだけお客様がついているのになぜだろうと、とても不思議に思ったんです。そこでいろいろと調べてみたら、どうも会社の経営方針に問題があるのではないかと考えました。
そこで管財人に連絡を取り、「その事業を引き受けたい」と伝えました。他にも希望者がいるということで入札になったのですが、結果、僕たちが落札。当時の社長さんに、凍天の作り方をレクチャーしてもらいました。それから工場を建設し、新入社員を3名ほど採用して凍天を作り始めました。
――前の会社では経営が上手くいかなかった凍天が、キノシタコーポレーションでは順調に経営できている違いはどこにあるのでしょうか。
以前の会社との大きな違いは、冷凍食品の開発にも着手したことです。他の商売でも同じですが、売れる・売れないの波は必ずあります。売れない時に何もしないとアイドルタイムが発生してしまい、とても非効率な経営になってしまいます。そんな無駄を減らすために、店舗では売れない日や時間帯に冷凍用の凍天を揚げることにしました。
凍天で利益を出すには、マンパワーと時間のロスを抑える必要があります。特に人件費のロスを工夫して抑えることが重要だと考えています。
そうした考えもあって、冷凍凍天を作る時期を11月から3月の4ヶ月に集中させ、専用の冷凍庫できちんと管理するようにして1年分のストックができるようにもしました。こうすることで、残りの8ヶ月は製造に携わる社員は時間的な余裕ができ、イベント時の販売要員として現地に行ってもらうことができます。人件費の無駄がなくなり、新たにイベント用の社員を雇用する必要もありません。
社員の皆さんにはいろんな対応をお願いする分、評価や手当にきちんと反映するようにしています。おかげさまで、今のところ無駄なく順調に回っていると感じています。
〈木下さんと製造部の皆さん〉
――凍天以外に展開している事業はありますか。
回転寿司もしています。こちらは8年くらい前から始めました。
僕は個人的にお寿司が大好きでいろんなお寿司屋さんを訪れていたのですが、福島市の回転寿司は全国的なナショナルブランドか地元のグルメ系のお寿司屋さんが1社あるだけでした。ナショナルブランド以外のお寿司屋さんが1社しかないのは、消費者側から見ると選択肢が少ないと思ったんですね。だったら自分でやってしまおうと思い立ち、お店を立ち上げました。
うちの回転寿司はおいしさを追求したグルメ系なのでそれなりの価格をいただきますが、価値のあるお寿司を提供しています。手前味噌ですが、美味しさではトップクラスだと自負しています。食材はこだわり、北海道と豊洲からの仕入れが主ですが、「めひかり」や「ヒラメ」など福島県産の食材を使うこともあります。
平等よりも公平。「してもらう」よりも「してあげる」
――例えば自社の理念など、事業をしていく上で社員の皆さんと共有している大切なことはありますか。
「平等は不公平である」という考え方はよく話していますね。平等を重視しすぎるあまり、不公平になるのは良くないことだと考えています。
例えば、高校生と幼稚園児に「同じ量のご飯を与える」のは平等と言えるかもしれません。でもそれでは高校生には物足りなく、幼稚園児は食べきれないでしょう。それは平等ではあっても公平ではないんですね。
人事考課も同様で、平等を重視してキャリアの長さだけで評価してしまうと、実際の能力や貢献度を反映していないことがあります。
また卸売りでも、大口の取引先に安い価格で提供するのは不平等に見えますが、大量に仕入れてくれる買い手の立場からすれば当然の要求です。こうした考え方は差別ではなく区別だと考えています。社員の皆さんにも、日々の仕事で平等よりも公平を意識してもらいたいと思っています。
――木下さん自身が人生で大切にしている価値観や教訓があれば教えてください。
そんなに立派なことを言うつもりはないのですが、僕は「してもらえる人間よりも、してあげられる人間になりたい」と思っています。誰かからもらった分以上に、誰かに返したい。人として、そうあるべきだと考えています。
子供の頃、特に中学生までは決して経済的に恵まれているとはいえない環境で育ちました。中学校の給食はお弁当でしたが、お金がなくて作ることもパンを買うこともできず、恥ずかしい話ですが空のお弁当箱に砂を詰めて持っていってたんです。そして学校ではお腹が痛いから食べないと言い、中身がないことがバレないように逃げていました。
中学生の頃からアルバイトをしていたのですが、そんな僕の状況を知ってか、周りの方はとても良くしてくれたんです。その時のことが僕の根底にずっと残っていて、直接の恩返しはできなくても、これから僕と関わる人たちに何かしてあげようと思うようになったんです。
凍天、回転寿司、若者のファンを作ることが重要
――これまで経営されてきた中で特に苦労したことは何でしょうか。また、その苦境をどのように乗り越えてこられたのかもお聞かせください。
1つは、僕にスキンケア事業を進めてくれた社長が亡くなった時のことです。それ以降、親会社となるその会社の社長は3人ほど変わりました。そして変わるたびに、経営方針や商品構成も変更され、大好きだった創業者の社長の考えや理念で始まった事業では無くなっていったんです。方針変更に合わせることが僕にとってもストレスだったし、社員にも同じようなストレスを感じさせてしまうことになってしまいました。
自分の信念を曲げてまでやるべきなのか――。そんな葛藤がありました。
その時、自社の上に親会社があるような事業ではなく、全て自己責任で取り組める事業に専念しようと思ったんです。2番手にいないことが大切だと学びました。それでスキンケア事業は撤退することにしたんです。
もう1つは、福島県の地域性に対応するのに苦労したことですね。一度受け入れられるとリピート率は高いのですが、新商品は定着させるまでに時間がかかるという特徴があります。また、若年層が少なく、ターゲットが高齢層に偏りがちです。扱う商品のボリュームゾーンを、どこに設定するかが難しかったと感じています。
お客様の高齢化の課題には今後も向き合っていかなければいけません。例えば回転寿司だと、通っていただいているお客様のメインの年齢層は50代以上の方々なので、30~40代のお客様に来ていただけなければ先細りになってしまいます。これからの変化にどう対応していくか。今まさに考えて、取り組んでいる最中です。
ただ、凍天については具体的な動きを始めています。4月(2024年)から、若い世代を意識して凍天の中にチーズを入れた新商品を発売したところ、購入数は増えてきています。また、小さいサイズの『ぷち天』に、ソフトクリームをトッピングした食べ歩きも促進しています。現状は手応えを感じているので、一過性のブームにならないよう取り組んでいくつもりです。
〈出典:公式Instagram〉
また、凍天は店舗で買って家で食べるのではなく、その場で食べていただくのに適した商品だと思っています。そうした機会を増やすため、キッチンカーを活用したり百貨店などのイベントに出店したり、臨時的な販売機会を増やすことも重要視しています。
百貨店への出店では社員を派遣し、現地で凍天を揚げて販売しています。百貨店のイベント出店は社員全員が行きたいと手を挙げてくれるので、誰を割り当てるのが公平なのかといつも悩んでますよ。
デジタル化が進んでも最後は“人”
〈木下さんと店舗スタッフの皆さん〉
――皆さんとても積極的ですね。あえて今の組織の課題や伸びしろも伺ってみたいのですが、そこはいかがでしょうか。
管理職の育成だと思っています。店舗数が増えてきたので、縦の連絡網だけでは難しくなってきました。管理する人材を育て、全店が連動できるようにする必要があると感じています。
これからの世の中は様々な面でデジタル化が進むと思いますが、僕はどこまでいっても最後は“人”だと考えています。人の教育、人のレベルが上がらない限りは、何も変わらないでしょう。
お寿司屋さんでもオートメーション化が進み、レジや配膳を機械がするような時代になっています。でも、機械が運ぶよりも人が運んだ方が美味しく感じる時ってありませんか?気持ちの良い接客に出会えることも、飲食店の楽しみだと思います。こうした考え方をしっかりと持ち、現場に伝播させられるような管理職を育てていくことが今の課題です。
――管理職が育ち、若い人たちが働きがいのある職場になるといいですね。
そうですね。若い人たちに僕たちの仕事に興味を持ってもらうためには、まず商品に興味を持ってもらう必要があります。僕が始めた時と同じように、最初は客として興味を持ってもらうことが大事なんです。扱っている商品やお店を気に入れば、それが動機となって「この会社で働いてみたい」と思ってもらえます。
そういう観点でも、キッチンカーやイベント出店は若者の目に留まるので大事ですね。実際、お客様として来店し、美味しかった、店もきれいだった、接客も良かったと言ってもらえることは多いので、ここはもっと伸びしろがあると思っています。
キノシタコーポレーションについて
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