【ダシマス老舗・カジノン】自分のしたいことを決めて、そのために歩むことが幸せへの道
written by ダシマス編集部
創業30年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。
今回は、電気工事を軸にさまざまな事業を行うカジノンの代表取締役である石井貴朗(いしい たかあき)さんにインタビューしました。「自分の生き方を自分で決めることが、人生を豊かにする」と語る石井さん。彼の人生哲学に迫ります。
代表取締役 石井 貴朗(いしい たかあき)さん
昭和46(1971)年岡山県生まれ。岡山大学経済学部卒。平成6(1994)年パナホームでの住宅営業職を経て、平成9(1997)年カジノン入社。平成16(2004)年よりカジノン代表取締役就任。趣味はゴルフ・読書。好きな言葉は「一期一会・天地人」。
取材:大久保 崇
『ダシマス』ディレクター。2020年10月フリーランスのライターとして独立。2023年1月に法人化し合同会社たかしおを設立。“社会を変えうる事業を加速させ、世の中に貢献する”をミッションとし、採用広報やサービス導入事例など、企業の記事コンテンツの制作を支援する。
執筆:川又 瑛菜(えなり かんな)
フリーライター。求人広告代理店や採用担当などHR領域の経験を活かし、企業へのインタビュー記事や採用広報記事、イベントレポートを中心に執筆している。フランスでの生活を目指してフランス語を勉強中。読書と人文学が好き。
ご飯が食べられないこともあった創業初期。縁と先代の決断力のおかげで軌道に
――まず、石井さんのご経歴を簡単に教えていただけますか。
大学を出てからカジノンに入社するまでに、パナソニックホームズと住宅メーカーの2社に勤めました。どちらの会社でも営業職を経験しています。その後、父の創業した会社であるカジノンに入社しました。そして現場や施工管理、営業を経験して、33歳の時、会社が31期目となるタイミングで代表となりました。
――カジノンの創業からこれまでの歴史についてもお聞きしたいです。
カジノンは、松下電器産業(現・パナソニック)の火災報知器を専門に扱う代理店としてスタートしています。そのため、「火事がない」ことをもじって「カジノン」という社名になりました。機器を売るだけでなく、取り付け工事も行っていましたし、もうひとつの事業の柱として、工場の電気工事にも当時から携わっていました。
先代である父は高校を出たあと、松下電気産業の販売会社で営業として働いていたそうです。そうして働きながら「いつか独立したい」との想いを持っていたなかで、たまたま「火災報知器の専門代理店にならないか」という話をもらってそれに飛びついた、というのが創業のきっかけだと聞いています。自分で仕事をしたいと思っていた時に、偶然舞い込んできたチャンスが火災報知器だったんですよね。偶然のご縁があった結果、今の事業が生まれることとなりました。
でも創業当時から順風満帆というわけにはいかず、やはり苦労が多かったと聞いています。「ご飯が食べられなかった」とも言っていましたね。
――そんな大変な時期もあったのですね……。
しかしその頃ちょうどパナソニックの岡山工場の建設が決定し、工場の電気工事を依頼されることになりました。その工場では当時需要のあったビデオテープを作っていて、売上がどんどん伸びていました。そして売上増大に伴い、次々に工場ができていくこととなったんです。最終的に6棟分の工場の電気工事を担当することとなりました。そのおかげで生き残ることができたと聞いています。そうこうしているうちにはじめはうまくいかなかった火災報知器の事業も、岡山で火災報知器が浸透してきたことで軌道に乗り始めました。
こうした事業からはじまり、今では電気に関することはなんでも行っています。ただ施工するだけではなく、コンサルティングから入ってメンテナンスまで一貫して担当しているのも弊社の特徴ですね。この業界は、電気照明の取り付けなどを専門とする会社や弱電と呼ばれる放送関係の工事専門の会社など、専門性を強みにしているところが多く、担当領域が広くない会社が多いんです。総合的な電気工事会社であっても、実際の工事は自社で担当せず専門の会社に依頼するのはよくあること。しかしカジノンでは、すべて自社で行うことができるので、そこが最大の特徴であり、強みでもあると捉えています。
――そうして事業が軌道に乗った要因は何だとお考えですか。
まず、創業時の実績がない頃からご依頼していただいたというご縁があったからだと思います。そして、やったことがなくても「受けます」と決めた先代の決断力のおかげでもあるかなと。先代は本来は大胆な意思決定をするというよりも、慎重で石橋を叩いて渡るタイプの人です。おそらく、当時は「自分がやらなきゃいけない」という気持ちで思いきって決断したのでしょう。
自分が満たされることで、周りに分け与えることができる
――そんなお父さまの背中を見て育った石井さんは、幼少期から、いずれ会社を継ぐことを意識されていたのでしょうか。
いえ、そうではありません。むしろ継がなくてもいいと言われていたので、まったく違う道で仕事をしようと思っていました。昔から父の背中を見ていたので、自分も経営者になろうとは考えていましたが、「会社を継ぐんだ」という気持ちを強く持ってはいませんでした。
先代が継がなくてもいいと言ったのは、当時の空気感や認識が大きく関係していたのだと思います。その頃は「中小企業は学歴がない人が、お金持ちになるために会社を起こして作ったもの」というイメージが強くて。学歴がある人は、上場企業に入って年収を上げていくものという認識があったんです。そんななかで私は国立大学に進学していたこともあって、「そんな大学にまで行って中小企業に帰ってこなくていい」と言われていました。でも、大学卒業のタイミングで「本当にいいんですか?」と聞いたらやっぱり継いでほしいとのことで(笑)。それならばと継ぐことを決心しました。だから就職活動は会社を継ぐことを前提に考えていたので、カジノンの事業と関係性のあるメーカーを選びました。
――そこで「継ぐ」という決断ができるのがすごいですね。
そもそも私としては「大卒が中小企業なんて」というのは違うと思っていたんですよね。今はベンチャーも人気があるし、色々な働き方がかっこよく見られていますが当時はそうではありませんでした。独立はまだまだ博打のようなものだと思われていたし、大手に行くのが良いとされていた時代です。でも私は、絶対にそれは変わると思っていました。なりたい自分像をしっかりと持っていて、その通りに生きていくことが幸せだと考えていたんです。
そして私がなりたかったのはお金持ちでした。どの会社でも実現できるんだけれど、せっかく継ぐと決めたのなら、カジノンという器を使ってこれを実現したい。そのためにどうすればカジノンが伸びるのかを考えながら経営してきました。それと同時に、一緒に仕事をしている社員たちの年収がどうすれば高くなるのかも、すごく考えました。ただ、社員はみんながみんな稼ぎたいわけではありません。休みが欲しい人もいれば、定時で帰りたい人もいますよね。このようなそれぞれの社員が望む働き方をある程度具現化できて、学歴に関係なく頑張ったことがリターンとして帰ってくる会社を作りたいと思ってこれまでやってきました。
――「お金持ちになりたい」と思われたのは、なぜだったのでしょう。
たとえば、自分と誰かがお腹が減っている時に、食べ物がひとつだけ見つかったとします。それを自分が食べずに相手に譲るか、自分が食べるかとなると、私は自分で食べてしまうでしょう。自分が満たされていないのに人に譲れるほど、人間ができていないんですよね(笑)。でも自分が満たされていれば、余った分は分け与えたらいいなと素直に思えます。だから、他人を幸せにするためにも、まずは自分が裕福になろうと考えました。
会社はただの器。yogiboのような柔軟なかたちが理想。
――石井さんにとって、会社とはどのようなものですか。
会社はただの器で、主役は人だと考えています。たとえるなら、ビーズクッションのyogiboみたいなものですね。そこに人が乗ったら会社の形が柔軟に変わっていくイメージです。会社が人の形を決めるのではなくて、人が会社の形を変える方がいいというのが持論です。1人に合わせてしまうとその人に会社全体が依存してしまいますが、yogiboは人が離れてもyogiboでなくなることはなく、元の形に戻るだけですよね。会社もそんなふうにあるのが望ましいですし、そうでなければ危険です。
また、yogiboは急に車になったり机になったりはしません。形は柔軟に変わりますが、ソファであることは変わらない。それはカジノンも同じで、電気工事に関わる仕事から軸はブラしませんが、ほかのことは社員たちに合わせて、いかようにも変わっていいと考えています。
――カジノンの経営にあたって、大切にしていることを教えてください。
「信用第一」、「先手必勝」、「一期一会」、「感謝報恩」、「目標達成」という先代が作った5つの社訓です。
これを忘れてしまうと、日本人のいいところを失ってしまうのではないかと思います。礼節を重んじたり相手を信用したり、互いに助け合ったりする心は、世界的に見ても評価できる日本のよいところです。そのため、この心は大事にしたいです。しかし一方で、日本には、法の概念が弱く契約関係がうまく機能していないという欠点もあります。契約をベースとした世界でもっと動けるようになりつつも、礼節や侘び寂びを大事にしていくことができれば、世界的にも強い人材になれるのではないでしょうか。カジノンをこうした人材がたくさんいる会社にできれば理想的ですね。
――そのような理想的な会社にするためは、どのようにすればいいのでしょうか。
そのためには、ふたつのことが必要だと考えます。まず、現在の当社は、属人化してしまっている部分も多くあります。それを無くすべく、会社として仕組みを作って正しく運用し、仕事が回ってみんなが報酬をもらえるようにしなくてはなりません。こうした仕組みの実現にむけて、今、先輩と若手、若手とリーダークラスなどの2人ペアで仕事をしてもらうようにしています。基本的に技術的な仕事は、技術を持つ親方と弟子という形が原点です。伝承の意味でもこのスタイルはいいものだし、働きやすさや休みやすさを考えても2人体制がいい、と考えてこの仕組みを採用しました。
もうひとつの課題は、文化の浸透です。私自身がお金を稼ぎたいタイプの人間なので、自分に憧れて入ってくるのはガツガツしているタイプの人であることが多い。しかし、人に優しくすることや、礼節を大切にする文化を浸透させたいのであれば、そういう優しい人が潰れない、生き残れる会社の文化を作らなくてはなりません。今いるメンバーにそれを根付かせることが目下の課題ですね。
これはなかなかに難しいことだとわかってはいますが、今以上に会社の規模が大きくなればきっともう不可能です。今の規模感だからこそできることなので、難しくとも挑戦していきたいですね。
――ご自身として、目標としていることはありますか。
引退したいです(笑)。代表だから引退っていうと重たく取られたり逆に笑い話になったりするんですが、どのポジションでも、引退できるようにしておくことって大事だと思うんです。たとえば課長をやっている人がいて、部長になろうと思っても、課長を任せられる人がいないと、自分に部長になれる能力があっても部長にはなれません。いつ何があるかわからないので、自分じゃなくとも自分の役割を担える状態にしておくことは全員に必要なことではないでしょうか。
自分がどう生きたいか、決めるのは自分
――お話をお聞きしてきて、非常に確固とした価値観をお持ちの方だと感じました。そんな石井さんが社員も含めた働く人に求めるのはどんなことですか。
自分のしたいこと、自分がどう生きたいかは自分で決めてほしい。これに尽きます。しかし政治や社会に問題があるからなのか、日本ではそういう人がなかなか育ってこない印象があります。たまに突き抜けている人もいますが、そういう人は海外に出ていくことが多いんですよね。
日本に残っている人は、国内しか見ていなくて、そのなかでほどほどに幸せになりたいと思っている人が多いように感じます。自分の決めたことに対して頑張っていこうという人が少ないので、その社会環境のなかで、「頑張ろう」という意欲を維持することが難しく、頑張る人がまた減ってしまうという循環が起きているのかもしれません。
ですが、せめて10年後になりたい自分くらいは自分で決めてほしいです。よりよく生きるためにはきっと自分で決めることが必要です。自らの人生を充実させるためにも、何がしたいか、どうやって生きていきたいかは全員が考えた方がいいのではないでしょうか。それが決まっていれば、自分でも今何をすればいいかわかってきますし、周囲の助けも得られるようになります。一方、これが決まっていないと仕事や人生そのものがしんどくなってしまう可能性が高いです。そうならないためにも、多くの人が自分のしたいことを自分でしっかり決めて、その道に沿って人生を歩んでもらいたいですね。
カジノンの詳細はこちらから
ホームページ:https://www.kajinon.net/