ビジネスと社員の可能性を開拓。岩手の住環境を支える泉商店、若き常務取締役が語る挑戦の姿勢

レッド

written by ダシマス編集部

岩手県遠野市で創業し、建築資材の販売業として誕生した泉商店。移りゆく時代背景の中で、商材バリエーションの拡大や工事請負業への参入など、幅広い事業開拓を重ね、人々の暮らしによりそう「住環境の総合アドバイザー」として72 年の歴史を紡いできました。今回は、そんな泉商店で常務取締役として活躍する下坂 大夢(したさか ひろむ)さんにお話を伺います。

当初は異業種への就職を志していた下坂さん。3代目であるお祖父様との衝突の末、自分が本当にやりたいことに気づき、泉商店への入社を決意されたそうです。入社後は社員として輝かしい成績を残し、現在は経営層として社員のマネジメントを行う下坂さんが、何を思うのか。顧客や関係各社、地域、そして社員の幸せを心から追求し挑戦を続ける、若きリーダーの情熱を取材しました。

常務取締役 下坂 大夢(したさか ひろむ)さん

常務取締役 下坂 大夢(したさか ひろむ)さん

1991年2月生まれ。 岩手県盛岡市出身。仙台育英学園高等学校 特別進学コースに入学を機に仙台市に住居を移す。その後、東京理科大学 経営学部 経営学科に進学。2013年4月千葉県浦安市の鉄鋼製品販売会社に営業として入社。2015年12月 株式会社泉商店に入社し、花巻店に鋼材課主任として配属。その後、営業担当部長を経て現職である常務取締役 花巻店店長として従事。

多様化する顧客ニーズに対応し遂げる進化。高付加価値を生み出す新ビジネスの創出

――最初に、貴社の沿革や事業内容をお伺いしてもよろしいでしょうか。

泉商店は、1952年に岩手県遠野市で創業しました。当初は建築関連商品の販売業を営んでいましたが、時代の変化やお客様ニーズの多様化に対応し、現在は鉄鋼製品・建設資材・住宅資材・土木資材・コンクリート製品など多岐にわたる商品を取り扱う商社へと成長しました。

弊社の特徴は、11社のグループ企業との連携により、単なる商品販売を超えた多様なサービスを提供している点です。生コンの製造プラントやサッシ・金物製造、水道工事に運送会社など、建築・土木にまつわるさまざまな機能をグループ内に持っているため、お客様の要望に迅速かつ包括的に応えることができています。

――貴社の強みを教えてください。

お客様や仕入れ先各社との強固なコミュニティが、最大の強みであり誇りです。泉商店は創業から70年以上にわたり、東北3県に拠点を展開し、営業を続けてきました。大手企業では成し得ない、きめ細やかで密なつながりを守り続けてきたことが、私たちの信頼の源だと考えています。

この強固なコミュニティを活かし、今年の9月から新たな取り組みにも挑戦し始めました。多数の企業とのお取引実績を持つ弊社を中心に、パートナー企業同士でのビジネスを創出する仕組みなのですが、すでにたくさんの取引先企業様に参画していただいています。

各社がそれぞれ個別の取引関係を結ぶこともできますが、取引開始時の手間の解消など、弊社を経由することがある種の潤滑油的な機能を発揮しています。地元に根差し、各社と信頼関係を築き上げてきた弊社だからこそできる価値提供であると、この先の発展に私自身も期待を抱いているところです。

――新しいビジネス形態に挑戦されているのですね。その取り組みの裏には、どのような狙いがあったのでしょうか。

単なる販売機能にとどまらない、弊社ならではの高付加価値の提供を目指そうという想いがありました。

少子高齢化が加速し、日本の生産人口も減少、高齢化の一途をたどっています。経済活動の規模も縮小しているので、今までと変わらない企業活動をしていては、売り上げや利益総額はこの先どんどん減少していくでしょう。これを食い止めるためには、自社にしかない強みを活かした新しい価値を提供していく他ありません。

弊社のコミュニティを通じて、人手が足りていないときには他社に仕事を回し、人手が空いているときには他社から仕事をいただく。弊社を中心に各社の受注量を平準化していくことで、パートナー企業すべてがメリットを享受できるこの仕組みは、弊社の価値を最大限に発揮できる活路だと考えています。

 

大喧嘩の末の強い決意。成果を上げ、厳しい視線を跳ね除ける

――下坂さんご自身の、これまでのご経歴を教えてください。

私は中学まで盛岡市で過ごし、都会への憧れから仙台育英高等学校に進み、その後東京理科大学へ進学して上京しました。

大学卒業後は千葉県浦安市にある鉄鋼製品の販売店に入社し、3年ほど修行をして泉商店へ転職。鋼材課の主任として営業を担当し、翌年には営業担当部長として3年勤めた後、現在の常務取締役に就任しています。

――元々、泉商店への入社を想定して進路を決めていたのでしょうか。

いえ、正直若いころは全然将来設計できていなかったんですよ。高校生のころは他大学で映画制作を学びたいと思っていたのですが、担任の先生から理科大の指定校推薦を提案され、大学に入れるならどこでもいいか!と流れに乗ってしまうほどで(笑)。

就活中も、元々は全く異なる業界を志望していたんです。芸能人のマネージャー業に憧れて、芸能事務所を中心に就活を進めていたのですが、あまりいいご縁がなくて。実家に帰ったときに、「どこも入れなかったらじいちゃんの会社に入れてよ」って冗談混じりに言ったら、ものすごく怒られて大喧嘩になったんですよ。「うちの会社を受け皿にするな」って……今思えば、当然ですけどね。

そのとき、人生で初めて真剣に自分の将来に向き合いました。幼少期から漠然と、「いつかは自分が祖父の会社を引き継いで守っていくんだ」という意識は持っていたと思うんです。それでも違う道を度々模索してきたのは、既定路線ではなく自分で一旗あげてやりたいという反骨精神の表れだったのかもしれないと。

自分の本心を自覚し、祖父に頭を下げてやはり泉商店でお世話になりたいと伝えました。建築のことなんて何も知らない若造でしたが、祖父が守ってきた会社を未来に残したいという願いの強さに気づき、覚悟を決めたんです。

――入社後、苦労したことなどはありましたか。

前職での経験を考慮され、主任として入社しましたが、当初は創業者の血縁ゆえの風当たりの強さを感じましたね。それでも、厳しい視線は実績で見返せばいいと割り切り、がむしゃらに営業活動に励みました。

入社1年目に部門の売り上げを1.3倍、粗利1.6倍に。2年目も売り上げ1.5倍、粗利を1.6倍に。そして5年後には売り上げは2.7倍、粗利も2倍まで増やしました。そんな実績を評価され、担当していた鋼材部門は現在自社の柱とも呼ばれるようになったんです。

――血縁関係者ならではの苦労があった中で実力を発揮されてきたのですね。売り上げや利益を伸ばす過程で、具体的にどのような工夫をされてきたのか気になります!

既存の取引に依存せず、新たな選択肢をお客様に提示していくようにしていました。前職時代の経験や関係性を活かし、弊社の中で見積もりや仕入方法の選択肢を増やすことで、他社との比較を不要にしたんです。お客様に合わせてさまざまな選択肢をプランニングし、提示する。それを繰り返すことで、受注率を着実に上げていきました。

あとは、とにかく強固な関係性の構築ですね。客先訪問はもちろんですが、訪問できない日も電話でコミュニケーションを深め、心を開いていく。仕事には関係のない雑談も、たくさんしました。電話のしすぎで、当時は叱責されたこともあるくらいです(笑)。

会話をたくさんすることで、遠方の取引先からも強固な信頼を得ることができ、言いにくいことも率直に伝えられる関係性が築けました。お客様と仕入れ先という関係であっても、お互い全力で仕事をするプロ同士。必要なときにはそれぞれの要望を伝え合い、お互いが満たされた状態で健全な取引ができるよう、関係性作りには人一倍力を注ぎました。

 

絶え間ない挑戦意欲と心からの感謝。泉商店社員に受け継がれるスピリット

――下坂さんが仕事をするうえで、大切にしている価値観を教えてください。

成長を止めず、つねに新しいことを考え続けることを大切にしています。これは、社員にも同じように心がけてほしいと感じていることです。

同じように仕事をしていると、会社も個人も停滞してしまいます。「当たり前」の状況に疑問を持ち、何か改善できないかを考え、前に進む。考え続けるためにも、自らの知識や情報の拡大に貪欲であり続けるんです。

「人生投じたものしか返ってこない」……この言葉が大好きで、私はいつも胸に刻んでいます。良いことも悪いことも、自分の行いは必ず自分に返ってくる。だからこそ、つねに進化を見据えて動き続けたいと思っています。

――泉商店の社員さんには、向上心を重んじる価値観が根付いていると感じますか。

強く感じます。社員自らが新しいことを考え挑戦するマインドが定着し、組織としてどんどん頼もしくなっていると実感する日々です。実は、先ほど紹介した新ビジネスも、「高付加価値を提供できる新しい取り組みを」と、私の部下が考案して実施に至ったものなんですよ。

私が入社したばかりのころは、言うならば個人商店の集合体のような組織でした。仕事の進め方も個人プレー型で、自分が実績を上げればそれでいいという考えが主流だったんです。でも今は、部門を超えて連携しあう姿が、多発的に生み出されるようになっています。

会社としても、チームワークや向上心を育むための体制や機会を作り、働きかけてきたのでとても嬉しく思います。

――意欲的なメンバーに囲まれて仕事ができるのは、求職者にとってもきっと魅力的に感じられるのではないかと思います。泉商店の社風として、他にはどんな特徴が挙げられますか。

弊社にお越しいただいた方がお帰りになる際、対応した社員だけでなく、その場にいた社員全員でお見送りする姿に、弊社の良さが表れているなと感じます。顧客・仕入先にかかわらず、ご来社された方々に感謝の気持ちを込めてお見送りする。これは先代の時代から続いている伝統のようで、どの支店にも受け継がれています。

他には、会社全体で風通しもいい雰囲気が作られているのではないかと思いますね。設備や業務改善も含め、感じていることを上層部に伝えてもらえるのは、経営層としてもありがたい文化です。

仕事における自主性も素晴らしく、出張などで長期間出社ができない場合でも、安心して業務を任せられます。先々のことを自ら考え、必要なときには上司にしっかり報告し、課題に対応してくれる。私自身も、一人ひとりの自主性や意欲を心から大切にしたいと思っていますし、何かあったときには絶対に社員を守るという強い覚悟があるので、これからも安心して挑戦してほしいと思っています。

 

課題は収益化への好機。社員の可能性を広げ、地域の発展を目指す

――貴社の今後について、どのような展望を見据えていますか。

震災復興需要も落ち着き、昨今のさまざまな情勢変化から業界としても衰退が懸念されるなかで、現在の業績を維持しながら、いかに業績を伸ばしていくかが今後の鍵だと考えています。

弊社には、まだ多くの挑戦の余地があります。DXやICTなど、既存事業と情報テクノロジーとを掛け合わせ、さらなる進化を遂げていきたい。課題は収益化への好機でもあると思うので、時代に順応しながら変化を重ねていきたいですね。

――関東から地元に戻って働く決意をされた下坂さんですが、地方で働くことのメリットを教えてください。

家賃や物価の安さ、都会にはない美味しい空気、などですかね(笑)。

1つ実感していることは、都心でも地方でも、働く場所選択によるデメリットはあまりないんじゃないかということです。都心部の魅力として、たくさんの出会いや買い物の利便性などをイメージする方もいるかもしれません。しかし、物流が発展した今は特に不便を感じることも少なくなっていると思います。

それに、どんな人に出会って人間関係を築くのかは、住む場所に依存しないというのが、私の持論なんです。私は現在岩手県に住んでいますが、日本全国に仲間がいます。たとえ都心で多くの人と出会ったとしても、そのすべてが人生を豊かにする強い関係に発展するとは限りません。勤務地の選択肢としては、都心部に劣らないくらい地方にも魅力があるし、その可能性を花開かせるかは自分次第だと、そう思っています。

――最後に、下坂さん個人の抱く今後の目標を教えてください。

関東での経験を積んだ自分だからこそできる、地元への貢献を続けていきたいです。住環境の面からお客様、地域の皆様、そして社員に新しい情報や価値を提供し、持続的な幸福をもたらしていくことが、私の使命だと考えています。

そのためにも、社員には成長することを止めてほしくないんです。社員一人ひとりが成長し続ければ、その人の家族や友人、周囲の人間にまでよりよい影響を与え、豊かな人生をもたらすことができるはずだから。挑戦を積み重ねながら、自分自身の可能性を開拓し続け、結果的に「泉商店でよかった」と社員全員に思っていただける会社を築き上げていきたいです。

 

(取材:大久保 崇・執筆:神田 佳恵

 

株式会社 泉商店の詳細・採用情報はこちらから

ホームページ:https://izumi-gr.co.jp/

採用情報:https://izumi-gr.co.jp/contents/recruit/

 

この記事をシェアしよう!

  • hatena
株式会社泉商店