人と場を大切に歩み続ける、株式会社岩見が創業100周年の今思うこと
written by ダシマス編集部
創業30年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。
今回は福島県福島市にある、株式会社岩見。福島県内のホテルやレストランに業務用の食品卸を行う会社です。創業は1923年で、2023年には創業100周年の記念すべき年を迎えました。
そんな老舗企業が大切にしていることとは?企業として、100年の時を経て今思うこととは?代表取締役の岩見孝之(いわみ たかゆき)さんにお話を聞きました。
代表取締役 岩見孝之(いわみ たかゆき)さん
株式会社岩見・代表取締役。県外でオフィス家具会社にて営業や設計に従事したのち、福島県に戻り父親が会長を務める株式会社岩見に入社。さまざまな業務に携わり、2012年より同社代表取締役に就任。プライベートでは2児の父で、息子さんが始めたラグビーがきっかけでコーチ資格を取るほどラグビーに深く関わるようになった。自転車での遠出も好きなアクティブ派。
執筆:大西マリコ
取材やインタビューを中心に活躍するフリーライター。愛犬はシーズーのうどんちゃん。
原点にある、子どもの頃の「ありがとう」の記憶
――まずは、株式会社岩見の業務内容について教えてください。
主に、福島県内のホテルやレストランなどで使用する業務用の食品卸をやっております。そこに付随して、商品開発や店舗デザインといった食の可能性を広げる事業も行っています。
――創業の経緯や、会社について教えてください。
1923年(大正12年)創業で、元々はサイダーの製造を行っておりまして、清涼飲料水製造業からスタートした会社です。しかし、1970年の大阪万博の開催と同時期に「コカ・コーラ」が全国展開したことがきかっけで全国の小規模飲料製造(サイダーなど)の売れ行きが悪くなり、うちも同様の状態でした。そこでサイダーを収めていたお店に瓶詰や缶詰を売るようになって。その流れといいますか、食べ物繋がりで現在も続いています。
――代々、会社が続いているということは、孝之さんは子どもの頃からこの場所で育ち、お父様やおじい様を始め、親族が仕事をしている姿を間近で見ていたのですね。
そうですね。この場所にサイダーの工場があって、私が小さい頃には瓶の交換や製造など、大人が働く姿を間近で見ていました。時には瓶ドロボーをして、ラムネの中にあるビー玉を取ったりもしてね(笑)。兄は勉強が得意だったのですが、私は勉強が嫌いだったのでよく外に出ていました。夏休みには従業員のトラックの助手席に乗せてもらったり、少し手伝いをしたお客さんに「ありがとう」と言ってもらえたり、そういう体験が楽しかったですね。
子どもながらに、「こういうことをすると感謝されて、お金までもらえるんだ」っていうのが嬉しくて、仕事っていいなと思ったのを覚えています。
日々を大切に。できることを行うことで続いてきた100年
――株式会社岩見として、会社が大切にしているのはどんなことですか?
理念としては「美味しさを食卓に」「美味しいものを届けましょう」という気持ちを大切にしています。
会社として、社長として大切にしているのは、やっぱり従業員ですね。日々働いてくれるスタッフに対して、すごく感謝しているんです。社員13人、パート、アルバイトさんが10名程の小さな会社ですし、お客さまの多くは長いお付き合いの方たちばかり。なので人との関わりはとても大切ですし、従業員が働きやすい環境や制度を整え、維持するホワイトカラーの会社でいたいと思っています。
――謙虚な姿勢と、思いやりを大切にされているのですね。きっとそんな意識のおかげもあり、2023年で創業100周年を迎えたとお聞きしました。このように会社を長く続ける秘訣は何だと思われますか?
誰も「100年やるぞ!」とは思っていなかったとは思うのですが、どうしてなんでしょう(笑)。食べることがなくなることがないように、うちは食を扱う会社なので後継がいて、その日・その時代に合ったやり方をしていけば、なくなることはないんじゃないかなと。
続けようと思って続けたわけではなく、続けることに固執したわけでもなく、「続いた」と言ったほうが正しいかもしれません。
みんなで助け合い、乗り越えた東日本大地震
――孝之さんが社長に就任してから12年。その間には東日本大震災やコロナ禍など、大変なことが多くあったのではないでしょうか。
コロナは世界中でみんな同様に大変だったと思いますが、東日本大震災は福島県ということから大きな打撃を受けました。
一番大変だったのは、震災で多くの従業員が辞めてしまったことです。震災によって、福島県では建築業や除染作業などの特殊な事業で大きなお金が動きました。言い方はあまり良くないのですが事業の面で見ると「復興需要」といいますか。給料が良いということで、福島県内外から多くの人がそちらに働きに行ったんです。
会社に残ってくれたのは、本当に食べ物が好きな人やお客さまとの繋がりを大切に思ってくれている人たち。この時は正直、会社を畳もうかと思いましたね。
――想像もできないようなご苦労をされたかと思います。その危機はどのように乗り越えられたのでしょうか?
まずは会社にいる人間で、やれる範囲で、できることをしました。私たちにできることはなんでもやって、みんなで助け合う。それこそ普段とは違うイレギュラーな仕事もやりました。
なかでも印象的だったのが、除染事務所で働く方たちの熱中症対策に冷凍のペットボトルを届ける仕事です。
午前2本、午後2本の1日4本、冷凍のペットボトルのジュースを届けるんです。除染作業はマスクやゴーグルをつけて行うのですごく汗をかきます。なので熱中症対策として常温ではなく、冷凍であることがマストでした。
なぜうちに白羽の矢が立ったかというと、当時の福島県商工会議所の大先輩から連絡がありまして。「明日から冷凍のペットボトルを、どこどこに届けてくれ」と。
話を聞くと、色々な業者に連絡したものの「冷蔵はできるけど冷凍はできない」と断られたそうなんです。うちもそういう設備が整っていたわけではなかったので試行錯誤して冷凍ペットボトルをつくり、なんとか届けることができたのですが、最終的には10箇所ほどの事務所から依頼がありました。
――地元に根付いて長く会社を続け、人との繋がりを大切にしてきた結果がにじみ出ているようなエピソードですね。
人との繋がりは本当に大切にしています。従業員を大切にしているという話にも繋がるのですが、会長がよく言っていたんです。「人を大事にする、人の場を大事にすると何か巡り合わせがある」って。
誰かと繋がることによって、さまざまな場が広がるというのは私自身こうして身を持って実感しています。
――孝之さんが社長として、また人として信頼されている様子が伝わってきます。ご自身では、どんな社長だと思いますか?
周囲からは「いつも明るいね」「元気だね」と言われるほうで、自分でもあまり苦しいとか辛いとか思わないタイプだと思います。始まったら進むしかないので。
ただ、経験を踏まえて、「できることをきっちりやっていこう」とは心掛けています。意外に安全策をとるというか。どんな社長なんだろう?今度みんなに聞いてみたいです(笑)。
――みなさんの意見も聞いてみたいですね!一方で、社長として心掛けていることはありますか?
従業員に対して、社長になったばかりの頃はマニュアルを作って「答えがある状態」を良しとしていたのですが、最近はすぐに教えるのではなく考えてもらうようにしています。
マニュアル化したり、すぐに教えたりしたら解決するのですが、自分たちで考えて答えを出さないと本気でそのことに向き合えない。うちは少数精鋭で会社をやっていかなければならないので、事業も大切ですが、同時に「育てる」ということも長い目で見て大事になってくる。だから、たとえうちを辞めたとしても、他でも通用するように色々な面で育ててあげたいと思っています。
――― 本日は貴重なお話をありがとうございました!最後に、創業100周年を迎えた株式会社岩見が目指す、これからの100年の展望についてお聞かせください。
どんなことが起きても、私たちは食べることをやめることはありません。だからこれからもこの事業を続けていきたい、いけると面います。その一方で、今は人から物を買って売る仕事をしていますが、もう一度原点に帰って「物をつくって販売したい」という気持ちもあります。
次の100年を目指して現在の事業を末長く継続しつつ、「ものづくりと販売」という面にも視野を広げて展開できたらと思っています。
株式会社 岩見について