【ダシマス老舗・糸井火工】コロナ禍で掲げた“花火業界の下克上” 攻めの経営で人々に有形無形の魅力を届ける
written by ダシマス編集部
創業100年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。
今回インタビューしたのは、福島県須賀川市にある有限会社糸井火工の代表取締役、糸井秀一(いとい・しゅういち)さん。糸井火工は、1873年(明治6年)に創業された由緒ある花火屋で、県内シェアは40%にのぼります。
150年に渡って、花火の持つ有形無形の魅力を人々に届けてきたこれまで。今も、そしてこれからも人々を楽しませるために、糸井さんは、従来の考え方や文化を大切にしながらも、新たな道を果敢に切り拓いています。
代表取締役・糸井秀一(いとい・しゅういち)さん
大学卒業後、宮城県仙台市の花火会社に1年間勤務し、24歳のときに家業である糸井火工に入社。2016年、37歳のときに代表取締役に就任する。コロナ禍に入った2020年6月には、自身が発起人の1人となり、全国163社の花火業者が一斉にシークレット花火を打ち上げる「Cheer up!花火プロジェクト」を実施。
取材・執筆:紺野天地(こんの・てんち)
フリーライター、文筆家。取材記事の執筆ほか、創作活動もしている。ライターとしては主に、形にとらわれないで生きる方々の姿を取材。
花火の魅力は「見た人の気持ちに合った形で届く」こと
――糸井さんが代表を継がれたのが2016年。そこに至るまでの経緯を伺えますか。
子どもの頃から、「お前は花火師になるんだぞ」っていう環境で育ってきて、自分でもそう思っていました。大学を卒業後に、「よその釜の飯を食う」という感じで、宮城県仙台市の企業で1年間花火修行をして、糸井火工に入社したのは24歳のときです。現場や経営とひととおりの業務を経験して、37歳のときに代表を継ぎました。
――傍らにはずっと花火があったわけですね。糸井さんにとって「花火の魅力」とは?
恩着せがましくないところです。嬉しいとき、悲しいとき、つらいとき。見る人それぞれの気持ちに合った形になって花火は届きますから。ひとつの花火を見ても三者三様に受け取ることができる、っていうのが花火の最大の価値だと思います。
――糸井火工はそんな魅力を150年にわたって人々に届けてきました。存続の秘訣はどこにあるとお考えですか?
その時代に必要なもの、求められているものを見極めて行動に移すことでしょうか。「今」を先代が積み重ねてきたから、会社が続いてきたんだと思っています。
「時代に合わせる」と「伝統を守る」。この二つは対義語的に言われることが多いけれど、私はイコールに近いと考えていて。「伝統を守る」ということは、会社として普遍的なものは残しつつ、その時代に適応することだと思うんです。
一例ですけど、直近では「玉貼り(※)」という工程に機械の導入を考えていて、来年を目途に話を進めています。
※花火を丸く、大きく爆発させるために、玉の外側にクラフト紙を何枚も貼る作業
コロナ禍で仕事がなくなったのは「自分たちの責任でもある」
――企業として特に大変だった出来事を伺えますか?
東日本大震災のときも大変でしたけど、やはりコロナ禍ですね。3年もの間、全国で花火大会がなくなったわけですから。
けれど私は、コロナ禍は花火業界が意識ややり方を変えるチャンスだったとも思ってるんです。花火業界って、それまでほとんど注目されることがなかった。私は新型コロナウイルス感染症の流行が始まったとき、「今こそ花火業界が下克上するときだ!」と気合いが入りました。
――意識ややり方を変えるチャンス、という点について具体的にお聞かせください。
従来、花火屋の仕事は「お客様から頼まれるもの」、いわば「受け身の商売」と考えられてきました。私は、そんなふうにお客さん任せだったからこそ、コロナ禍で仕事がなくなったんだという見方をしています。
だから当社では、「興行」として花火大会を自主開催したり、海外への出荷を進めたり、能動的に仕事をつくる意識を持って、広い視野で動くようになりました。
――コロナ禍で行われた「Cheer up!花火プロジェクト」。あれこそ「興行としての花火」を体現しているように思います。
そうですね。全国約350か所で花火を打ち上げたあのプロジェクトのことは、一生忘れません。「日本を元気にする」という思いはもちろんありましたが、その裏には「オレたちは花火を絶やさないぞ」という負けん気みたいなものもあったんです。たった75発の花火だったけれど、打ち上げのときは脚が震えましたね。
――花火を打ち上げるとき、何を大切にされていますか?
主催者さんの思いに応えることです。
東日本大震災で4人のご家族を亡くされて、13回忌まで毎年花火を上げてくださったお客様がいらっしゃるんですよ。亡くなったご家族に空から花火を見てほしい。ご遺体が見つかっていないお子様に、この花火を見て帰ってきてほしい。そういう主催者さんの思いが分かるから、それに応えたいと思って花火をあげる。
見ている方に良い花火を届けることはもちろん大切ですが、一番は、主催者さんのために最大限尽くすことですね。
やっと自分の未熟さに気が付けるようになった
――糸井さんは従業員の育成において何を大切にされていますか?
実は、自分でも「これを大切にしてる」っていうのは分からないんです。それは、私が育成上手ではないから。もっと言うと、自分が未熟だからなんだと思います。歳を取るほど自分の未熟さを感じるようになって、「いつになったら大人になるんだろう」なんてよく考えています。
――おこがましい質問ですが、自分自身の成長のために何が大切だと感じていますか?
それも分からなくて(笑)
以前、経営者のお客さんに、自分の未熟さについて話をしたことがあって、そのときに「それは、自分が未熟なのに気付けるくらい大人になったってことだ。だから今のままで間違ってない」って言われたんです。今はその言葉を信じて、そのまま進んでる最中です。
――お客様とそういった会話をされるんですね。
しますよ。やっぱり私たちって、お客さんに育ててもらってるんです。人として成長するうえで大事なことって人との繋がりの中でしか学べない。絶対にそうです。生きるうえで本当に大切なことって教科書には載ってませんよ。
――糸井火工さんが150年続いてきたのも、人との繋がりを大切にされてきたからこそでは。
そうかもしれませんね。綺麗ごとっぽく聞こえるかもしれませんけど、人に支えられて「今」があるんだと思います。
企業成長に大切なのは「人」
――社内の様子や糸井さんの話を伺っていると、若者の意見を大切にされているように感じます。
若い子たちって社会の中心だから、その考えを知ることって、未来を見ることだと思うんです。私くらいの年齢になると頭が固まって、未来を見ているつもりで「想像」になっていることもありますから。
それで、私の代で初の新卒採用も始めました。メンバーが固定されるとマンネリ化が起きて、それが企業の成長を妨げる気がするし、若い子が生き生きとしていれば周囲も勢いづきますからね。
――糸井火工として近いうちに成し遂げたいことがあれば伺えますか。
2025年に双葉郡に復興祈念公園ができる予定なのですが、そのときにドデカい花火を打ち上げて、現地に一万人を集めたいと思っています。双葉郡は原発被害を受けたところ。その土地の「今」を、たくさんの人に見てほしいんです。
まだ具体的な話は進んでいませんが、こうやって口にすることで仲間を増やしたいと思っています。
――存続の秘訣は「今の積み重ね」と仰っていましたが、それは今後のビジョンにおいても同様でしょうか。
そうですね。だから、これから会社や事業が続いていくかはそのときの代表次第です。
私には中学2年の息子がいます。今は「この仕事がしたい」と言ってくれていますが、無理して継がせる気は全然ないんです。私が今やるべきことをやって、息子が見るその背中が継ぎたい背中だったら、そのときはやってくれるでしょうし。
――最後に、100年以上続く企業を目指す経営者へメッセージをお願いします。
上から目線っぽくなるので、大したことは言えませんけど(笑)やっぱり人と人ですよ。私の経験から確実に言えることだし、大切なのはそれだけだと思います。
糸井火工について
ホームページ: https://www.itoikako.com/