「補聴器が日本一嫌い」だからこそ。今注目のマーケットを牽引する経営者の使命
written by 川西里奈
目黒駅からほど近いビルの7階に、株式会社リードビジョンが展開している補聴器の専門店「ヒヤリングストア」の本店があります。
補聴器のユーザー年齢というと80歳が平均ということですが、ヒヤリングストアの利用者は20代から50代という若い層も多いのだそう。
いったいなぜなのでしょうか?そこには長年自らが補聴器ユーザーだという代表の清水大輔さんの人生をかけた思いが反映されていました。
清水大輔(しみず だいすけ)
1969年富山市出身。市内で書店を経営する両親の元に生まれる。甲子園に憧れ富山商業に入学。富山県内の企業に就職し営業職を経験後、2002年に上京し株式会社リードビジョンを設立。
音楽再生、ヘルスケア、AI搭載型も!最先端の補聴器事情
__リードビジョンとはどんな会社なのですか?
清水大輔(以下、清水):ヒヤリングストアという小型補聴器の専門店を展開しています。都内や神奈川県に9店舗、ドイツとデンマークの大手メーカーと共同企画したオリジナルの超小型耳穴補聴器「見えない補聴器」をはじめ、世界シェア90%以上を占める6大メーカー500種類以上の補聴器を取り扱っています。
__小型の補聴器にこだわっているのはなぜなのでしょう?
清水:まず私自身が27歳で補聴器ユーザーになったときそれを切望していたというのがあり、ここはユーザー目線として私が一番大切にしなければいけないところだと思っています。
日本では補聴器はネガティブなイメージが強く、普及していくには小型で見えにくいもののほうが日本人のメンタリティには合っていると感じているからです。最近ではあえて見せるような補聴器もありますが、僕自身の経験上、日本でそこまでオープンになるのにはもう少し時間がかかると思っています。
一方、海外では補聴器はメガネを装着するのと同じくらいに人々の抵抗がなくなっているのも事実です。世界の補聴器市場において、少子高齢化が進む日本はとても注目されています。
10年ほど前にドイツでシーメンスという世界的に有名な補聴器のメーカーの開発責任者とのミーティング中「これから日本で流行るのはどんな補聴器だと思う?」と聞かれたことがあり、見えない補聴器だと話すと「なぜ隠す必要があるんだ、恥ずかしいものではないのに」と言われ、理由を説明したもののなかなか理解してもらえず困った経験があります。それらを経て当社オリジナルの「見えない補聴器」が誕生しています。
__たしかに、年をとって周りに促されてしぶしぶ検討するようなイメージがあります。
清水:メガネをかけているのが珍しくないのと同じように、補聴器も補うという意味では同じですが日本では補聴器はお年寄りのものというイメージがぬぐえません。しかし今ではファッションとしてのメガネがあるように、補聴器にもデザイン性に優れおしゃれでスタイリッシュなものが増えてきています。
たとえば、今年発売されるヘッドセットで有名なブランドの補聴器は、見た目は完全にワイヤレスイヤホンでデザインも格好良く、アクセサリーのような感覚で装着できます。既に発売されている製品でも、ブルートゥースが内蔵されていてスマホアプリと連動し音楽を聴けたり、AIを搭載し健康管理をしながら本人が倒れた際に家族にメールで通知してくれるなどヘルスケアの機能や、外国人との会話で翻訳をしてくれるものまであります。
__知らなかったです!今や補聴器は聴力を補うためだけのものではないんですね。
清水:補聴器販売店というと地味でニッチな仕事に見えるかもしれませんが、欧米では日本とは比較できないほど一般的なものとしての大きな市場になっています。
特にヨーロッパでは街を歩けば至るところに補聴器販売店がありますし、メーカーが一同に集まる展示会後のパーティーでは、バンドやDJが出てきて補聴器ユーザーや業界関係者が大いに盛り上がる様子を見ると、明るくポジティブにしてくれる道具として定着していることを痛感します。ドイツの有名なプロサッカーチームのオーナーが実は補聴器販売店だったりもして、イメージも規模も日本と全然違うんです。
自分自身も補聴器ユーザーとしてそんな世界を目の当たりにしたとき「補聴器はやっぱり、人生を楽しむための道具なんだ!」と感じて、勇気をもらいました。
逆境を乗り越え見つけた自分の使命
__会社の創業にいたるまでにはどんな背景があったのでしょうか。
清水:補聴器はメガネと同じ補うものなのに、イメージが全然違うことでなぜこんなにも自分は悩み苦しまなければいけないんだ、そんな思いが爆発して創業を決意しました。
中学生の頃から耳の病気で大きな手術を7回受けています。後遺症で聴力が低下していく病気だったことからいつか全く聞こえなくなるのではないかと心配でした。よくつんぼと言われましたし、高校時代は先輩からわざと小さい声で話しかけられたり、いじめや差別を受けるのは当時はわりと当たり前だったんです。
コンプレックスはどんどん強くなっていき、難聴であることを隠しごまかし続けましたし、サラリーマンになっても補聴器を着けていることをできるだけ人に知られたくありませんでした。そんな中転機となったのは、阪神大震災での経験と母の言葉でした。
阪神大震災が起こったとき、富山で結成されたボランティアチームで現地へ駆けつけた私は壮絶な状況を目の当たりにしました。家屋が倒壊し家族も見つからない、食べるものもない人々、まだ余震が続く悲惨な現場で活動しながら、「人の役に立つことをしなければならない。自分にできることは何か、何のために生まれてきたのか」と自分に問い続けていました。
当時、サラリーマンをしていて結婚と子供にも恵まれ自宅も購入し富山ならではの平凡でも幸せな時間を過ごしていました。そんな27歳のある日、耳の病気が再発し7回目の手術の後遺症による聴力低下でとうとう補聴器を着けなければ会話が出来なくなりました。自暴自棄になりながらも、母親がよく自分に言っていた「あなたがこの世に生まれてきたのは何か役割があるからなのよ」という言葉を思い出し、ボランティアの経験と母の言葉が重なったとき、僕は難聴と補聴器という自分の運命を受け入れて、同じ悩みをもつ人の受け皿になることが自分の使命だと決意することができたんです。
__そして上京して現在の会社を立ち上げたのですね。
清水:2022年の12月4日で創業からちょうど20年になります。今思い返すと、とくに上京前後は家族にはとても大変な思いをさせました。妻は私の決意を反対することは一切せず応援してくれて両親や友人とも別れ未知の東京に付いてきてくれました。これからは少し恩返しをしなければバチが当たると思っています(笑)。
創業前、富山では会社勤めをしながら夜間工場と自宅売却で資金を貯め、休日には東京に何度も通い事業計画書を作り、それなりに準備をしたつもりで妻と3歳の娘を連れて東京に出てきました。しかしいざ上京してみるとそれまで取引してきた銀行さんに口座を開いてもらえない、物件も信用がないからと契約してもらえないなど、断られる毎日で心が折れそうでした。時間の経過とともにお金はどんどん生活費に消えていきましたので開業するまで夜は居酒屋でアルバイトをしながらしのぎました。そんな中でも、親身になってくれる銀行さん、不動産屋さん、メーカーさんに出会い、なんとか創業することができました。その恩を返すべく20年たった今でも取引させていただいています。
__創業から今まで売上は伸び続けているそうですね。
清水:そうですね。でもそれは僕の力ではなくて、補聴器ユーザーの僕が補聴器をメガネのようなイメージのものにして世の中に普及させ、難聴の悩みを軽減させたいという率直な思いを、応援してくれる人がいるからだと思っています。
だからいつも謙虚さを忘れてはいけない、と従業員に伝えています。僕が経営の指針としている京セラ創業者稲盛和夫さんの言葉に「他力の風が吹く」というものがあり、自分に言い聞かせています。純粋な心で正しい目的に向かって一生懸命努力をすれば、応援してくれる人が出てくるし、必ず神様が助けてくれる。そういった力が追い風となり目的地に導いてくれる、という意味です。
コロナの影響で人々の外出が減り、高齢者を相手にしているこの業界は大きなダメージを受けていますが、そんな中でもありがたいことに当社の昨年の業績は売上前年比131%という過去最高の結果となり財務内容もより強固になりました。
補聴器販売店は人の人生を変える仕事
__お仕事のやりがいや楽しさはどういうところでしょうか。
清水:この仕事は「あなたのおかげで人生が変わった」と本気でお客様から言ってもらえる仕事なんです。だけどそこに到達するのはすごくむずかしくて、自分よりも年上で自信をなくしたり傷ついたりした人を励まさなくてはならない場面だってあるんです。
私たちは技術や知識だけでなく悩みや想いも共感し信頼していただける存在にならなければなりません。そのためにも従業員の意識がお客様に集中できるよう、この会社に入社して良かった、誇りだと思えるような組織を目指しています。
僕たちは聞こえだけでなくお客様のお困りごとを解決するプラットフォームを目指しているんです。だからもしお客様にお困りごとがあったら「ヒヤリングストアに電話してみよう、あの人に聞けばどうにかしてくれる」そんなふうに長期に渡って信頼していただけるためのIT化など多くの仕組みを積極的に取り入れています。
__今後、事業を通して成し遂げたいことはありますか?
清水:補聴器のイメージを変えメガネのような当たり前のツールにしたいですし、難聴に抵抗のない世の中にしたいと思っています。また、60歳以上の方を元気にして日本の労働人口減少にも貢献していける存在にならなければいけないと考えています。
僕自身は補聴器が日本一嫌いな人間でした。だからこそ、業界の常識を否定し徹底的に難聴者の立場になってこの仕事をしています。当社がオリジナルの見えない小型耳穴補聴器によって業績を伸ばしてきたことで他のメーカーもこの分野に注力しお客様にも認知されるようになりましたから、その部分では少しは貢献できたかなと思っています。
でもまだまだやるべきことがあると考えています。日本では聴力の低下が進み、“聞き取る脳の力”が衰えてからようやく補聴器を装着する場合が多く、そうなってしまうと補聴器の効果は得られにくくなってしまいます。
これを防ぐためにももっと早いタイミングで補聴器を検討していただく必要があります。難聴の早期発見、補聴器の早期装用です。店舗数を増やすだけでなく啓蒙活動を通じて欧米のように補聴器の存在が当たり前の社会を作りたいですね。
__清水さん、ありがとうございました!
取材を終えて
今や補聴器はファッションの一部のように装着し人生を前向きに楽しむためのもの。そんな事実に衝撃を受けた今回の取材。難聴という運命、補聴器を憎んだ過去、そのすべてを受け入れて目の前の道に突き進む清水社長の言葉は、真っ直ぐで力強いものでした。これからリードビジョンが日本の補聴器業界を変えていく様子がとても楽しみです。