「誇れる福島」をつくりたい。県内唯一のBリーグチームを率いるアスリート社長!
written by 川西里奈
福島県をホームタウンに活動している県内唯一のプロバスケットボールチーム『福島ファイヤーボンズ』。2年前からチームの運営を担う、福島スポーツエンタテインメント株式会社の代表・西田創さんは、NECグリーンロケッツでスクラムハーフとして活躍した元ラガーマンです。トップリーグで活躍し指導者としても実績を積んだ西田さんの、新たな舞台での挑戦に迫りました。
西田創(にしだ つくる)
1983年福岡県出身。中学1年生でラグビーを始め、立教大学で4年次にラグビー部主将を務める。NECに就職し『グリーンロケッツ』に所属する傍ら、立教大学ラグビー部でコーチを務める。組織コンサルティング会社の『識学』に転職した後、同社の子会社『福島スポーツエンタテインメント』が運営する『福島ファイヤーボンズ』の社長に就任。
福島ファイヤーボンズを復興のシンボルに
__西田さんは、プロバスケットボールチームの運営会社の代表をされているということですが、具体的にどういったお仕事内容なのですか?
西田創さん(以下、西田):ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)の試合の興行をはじめ、グッズ・チケットの販売を行っています。自身の日々の業務としては、スポンサー企業を増やすための営業活動がメインで、僕はその営業メンバーのマネジメントを行っています。
知名度を上げてチケットやグッズに価値を付けるためには、強くなることはもちろん大事ですが、地域の方々の協力も必要不可欠です。そのために、バスケの教室を開催したり市民の皆さんと健康やスポーツに関するさまざまな活動を行い、地域とのつながりをより強固にしていくことがチーム運営の軸となっています。
__どのようなきっかけで今のお仕事をされることになったのでしょう。
西田:2年前に副社長に就任した当時、コロナの影響もあってスポンサー企業は激減し、チームの運営は厳しい状況でした。苦境であることは承知の上でしたが、スポーツの指導者として5年目という節目を迎え、これまでの組織コンサルティングの経験を活かすことができ、自らの成長にもつながると思い副社長というポジションに手を挙げました。
福島ファイヤーボンズは、震災後に設立したチームです。福島県では震災後、放射能の影響で子どもたちが外でからだを動かすことができず、肥満率が全国でワースト1位でした。そんな状況を何とかできないかと考えた結果、室内競技であるバスケットボールのスクールが発足されました。その翌年、子どもたちがもっと夢を持ってバスケを続けられるようにと誕生したのが「福島ファイヤーボンズ」です。
チームが「復興のシンボル」となれるように、地域とともに歩んでいきたいという思いを一社一社にお伝えし、徐々に共感していただけるようになり、スポンサー企業は2年間で200社ほど増えました。
__たったの2年でそこまで状況は変わったのですね!
ラグビー指導者から組織コンサルタントへ
__立教大学ラグビー部でコーチを務めた後、組織コンサルティングの会社に転職されたのはなぜだったのですか?
西田:NECに就職し、グリーンロケッツに所属してプレーする傍ら、週末は母校である立教大学のラグビー部のコーチを務めていましたが、2年連続で2部残留という挫折を経験しました。
そのときの部員は100人を越え、自分の経験則でのマネジメントの限界を迎えていました。そういった経緯からマネジメントを本格的に学びたいと思い、組織コンサルティング会社「識学」のセミナーに申し込んだのをきっかけに識学に転職しました。
識学での学びをコーチ業へ活かし、立教大学のラグビー部は5年ぶりに1部リーグへ昇格、翌年には強豪の青山学院大学に15年ぶりに勝利しました。
__現在では運営側のマネジメントをされていますが、スポーツチームと企業のマネジメントに共通する部分はどんなところでしょうか?
西田:組織を機能的に動かすという点では、スポーツチームも企業も基本は同じです。組織ではひとりひとりの能力を最大化し、全員が常に本気で戦っている状態をつくる必要があります。
人数が増えてくるとその状態を維持するのが困難なので、マネジメント機能とプレーヤー機能を分けて階層を作ります。プレーヤーが能力を発揮できるようにチームをマネジメントする立場の人間がいる、というそれぞれの役割をはっきりとさせることで組織は成長していきます。
地域の人々と分かち合う感動の瞬間
__今のお仕事のやりがいはどんなところでしょうか?
西田:スポーツは一試合一試合にドラマがあり、そこで観客も選手もハラハラします。その緊張感や感動を福島の人たちといっしょに味わえる、それが何よりやりがいを感じる瞬間です。
選手たちはみんな地元に住んでいるので、一度生で試合を見てもらうとさらに身近に感じ、ファンになっていただくことも多いです。地域に根ざした活動によって、皆さんの生活の中に福島ファイヤーボンズが溶け込んで、この“ライブ感”にもっと多くの人を巻き込んでいきたいですね。
__地元密着のチームならではの一体感、魅力的です。これから新たに挑戦していきたいことなどはありますか?
西田:僕自身の経験を生かして、アスリートのセカンドキャリアのチャンスの場所を作っていけるといいなと思います。
アスリートとしての実績があるほど、引退後のキャリア形成に苦しむ人は多いです。「レギュラーになる」、「日本代表になる」というはっきりとした夢があった状態から企業に入ると、そのギャップに戸惑いが生じやすいんです。僕も初めは苦しみました。
今の僕の仕事はスポーツの業界なので、アスリートからビジネスにシフトチェンジするときにも入りやすい環境であると思います。今後はビジネスを学びたいという気持ちがある選手を、引退後に受け入れる態勢も整えていきたいですね。
__福島ファイヤーボンズの社長として今後の目標を教えてください。
西田:チームが強くなるだけではなくて郡山や福島が元気になること、それが目標です。
「組織とコミュニティの可能性を最大化して、誇れる福島をつくる」というミッションを会社として掲げています。チームを強くするのが組織の可能性の最大化、コミュニティというのは地域とのつながりのことを指しています。
福島ファイヤーボンズは県内唯一のプロバスケットボールチームです。この唯一無二のコンテンツを通して、福島を元気にするという仕事はここでしかできません。選手も社員もそのミッションに共感して、この仕事に誇りを持っていっしょに頑張っています。
震災から10年以上が経ちましたが、福島ファイヤーボンズはこれからも復興という役割を担っていきます。一体感や前向きな心を生み出すスポーツの力を信じて、地域とともに支え合って福島の未来を創っていきたいです。
取材を終えて
人を育て、チームを導き、地域へ貢献する西田さん。“創(つくる)”というその名前の通り、未来に向けてかたちのないものを創り続けています。その行動の根底には、郡山や福島をスポーツを通じて元気にしたいという思いが一貫してあるのだと感じました。チーム創設後初めてのプレーオフ進出を果たした福島ファイヤーボンズ。来季の活躍が楽しみです!